Jeux inconnus

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 彼はハーデスにすがりついていた手をそっと離した。
 これは知識を深めるための行為であって、それ以外の何物でもない。ヒュトロダエウスだって、まじめに教えてくれているだけなのだから、勝手に反応して、興奮している自分がおかしいのだ。否、この症状だって、生理的な現象でしかない。“セックス”と肉体的悦楽は、切っても切り離せない関係だということくらいは、わかっているつもりだ。つまりハーデスに見られているとか、彼としたいとかしたくないとか、そんな余計なことを意識していることがいけないのだ。
「ヒュトロダエウス……続きを、教えてほしい……」
 彼は身をゆだねるように、四肢をシーツの上に投げだした。
「本当にいいのかい」
 彼とハーデスの両方に確認するように、ヒュトロダエウスは問いかけた。だがその表情は大変に面白がっているもので、彼の建前の奥に秘められた期待も、顔を背けているハーデスが、意識を集中させながら、ちらちらと視線を向けているのも、すべてお見通しだった。
「ハーデス、……見ていてくれ。君の分も“セックス”というものを理解してみせる」
「何を言っているんだ……お前は……」
 いたって大真面目な顔で言われて、ハーデスは緊張の糸が解けたようなため息をつくと、彼の頭をくしゃりとなでた。
 ヒュトロダエウスが、フフ、と笑った。
「こんなものはまだ序の口だよ」
 彼の立てられた膝をもちあげて広げる。ゆったりとしたローブがめくれあがり、腰のあたりでたわんで、股の間をかろうじて隠した。ヒュトロダエウスの身がおりかさなって、その布地越しにすりすりとふくらみが押しつけられる。
「そ……それって、本当に……た、ってない、のかい?」
「うん、さわってみるかい」
 ヒュトロダエウスが彼の手を取った。
「えっ、ちょっ」戸惑いの声があがるのを微笑で封殺し、みずからの“そこ”へ誘導する。やわらかな感触がてのひらに当たって、彼は赤面しながらも、好奇心のまま形を確かめるようにふくらみを握った。
(ヒュトロダエウスにも“付いて”いるのだなあ)
 同じ男なのだから当たり前のことではあったが、どこか浮世離れしているような雰囲気が、ヒトらしさというものを意識させないのだ。けれどそこには確かに“雄の象徴”が存在していて、今はふにふにとしているそれも、海綿体に血液を集中させて、芯をもって膨張したりするのだ。どんなに涼しい顔をしていたって、陰茎を刺激して至る絶頂の快楽も知っているし、付け根には子種のつまった精巣をぶらさげていて、射精という現象を何度も経験している。そう思うと、なぜだか彼の心臓は鼓動を早めていた。
 ——それにしても、やたら大きい。
 これで“平常”だというのはやはり信じられない。陰嚢のずっしりとした重みは本物に他ならないだろうが、他はひょっとして見栄をはっていたりはしないだろうか。彼はちょっとしたいたずら心で、握りしめたものをぐにぐにと揉んでみた。
「あ、大きく……」
「っ……さすがに物理的に刺激されたら、ね」
「ちょっと待ってくれ、ど、どこまで大きくなるんだい」
 どくん、どくん、と脈うちながら、幹が形をはっきりとさせる。彼はあわてて手を離した。みるみるうちに膨張したそれは、今やローブを持ちあげて規格外の存在を主張していた。
 他人のものをさわるのは当然はじめてだったし、見たことだってない。もしかするとこれが“普通”のサイズだったりするのだろうか。不安になった彼が、ハーデスにちらりと視線を投げると、かれは若干引いたような顔つきをしていた。なるほど、かれから見てもヒュトロダエウスのものは規格外らしい。ほっと息をつく。
「キミ、わかってるのかい、これからワタシと“セックス”するってこと」
 視線をはずしたことをとがめるように、ヒュトロダエウスは彼のあごをつかんで、強制的に顔を向き合わせた。叱られているような気分になって、彼は肩をちぢめながら言葉を返す。
「ぁ……、する真似をして、教えてくれるんだろう……?」
「今のワタシは、キミにとってなんだい」
「えっと……先生……だ」
 たしかに教えを乞う立場だというのに、姿勢がなっていなかったかもしれない。自分は今、生徒なのだと身をひきしめる。
 だがヒュトロダエウスはゆっくりと首を横に振った。
「キミは先生とセックスするのかい?」
「あ……その……、ごめん、意味が、よく……」
「簡単なことだよ。セックスは、恋人とするものだろう?」
 それは、つまり。
「キミは今——ワタシの恋人なんだ」
 いまいち要領を得なかった思考のピースがつながる前に、ヒュトロダエウスが告げる。
 恋人。脳髄にじわじわとその意味が浸透していく。
(あのヒュトロダエウスが……僕の、恋人)
 すべてを見透かす瞳に覗かれながら、彼はぼんやりと反芻した。
「セックスは感情で高めるものだ。ワタシの恋人だと思いこんで……なりきるんだよ。ああそうだ、愛称で呼ぶなんてどうかな」
「愛称……ヒュ…………“ヒュトロ”……」
「いいね、その調子だ」
 イマジネーション——想像力は創造魔法を行使するのに必要不可欠な能力だ。彼は特にイメージするのが得意だった。やや雑念が混じりがちなところはあるが、それも幻想の世界に没入しているからこそ。今はその優れた能力を、ヒュトロダエウスとの性愛の探究に発揮していた。
「っ……ぁ……」
 明確に熱をもった塊をあてがわれて、まるで欲情されているような錯覚に堕ちてゆく。
「ワタシのをさわってみて……どう思ったんだい」
「お……大きくて、熱い……」
「それが、これからキミのなかに入るんだよ」
 彼は咥内にたまった唾液をのみこんだ。
 はいるわけがないという恐怖の痺れと、いれるふりをするだけだから大丈夫だ、という理性的な感情がまじわり、脳がくらくらと錯乱する。後孔のいりぐちがひくひく収縮する。あんなものが入って、出し入れされたら、おかしくなる。
「……いれるよ」
「——……っ!」
 かすれた声で宣告され、ぐっと腰を突き出されれば、彼は衝撃に声なき悲鳴をあげた。
 ただの、真似事であるはずなのに。実際に押し当てられている場所も、布地越しの尻のあわいに過ぎず、はしたなく涎をたらす性器にも、その後方の窄まりにも掠めてすらいない。
 けれど規則的な動きで、とん、とん、と腰を動かされると、まるで本当に抱かれているかのように、あわい快感が身体をつきぬけるのだ。何度目かの穿ちで彼は、突かれている箇所が会陰部であり、その奥には前立腺があるという知識を思い出した。
「気持ちいいかい」
 今まで聞いたこともない甘やかな声で問われて、彼はなにも考えられないままうなずいていた。
 快感の強さでいえば、大したことはない。けれどこの行為は“真似事”で、そうしていると思い込むことが大切なのだ。
「っ……ん……は…………んっ……」
 ヒュトロダエウスの動きにあわせて、ひかえめに吐息まじりの声を漏らすことを試みる。
 一瞬、打ちつける動作が止まった。
「ァ、ッ……」
 今度は本物の“嬌声”だった。ひときわ強く身体をゆさぶられたのだ。
 心なしか熱量が大きくなった気がして、頭上をうかがうと、真剣な表情に見下ろされていた。目が合ってすぐにいつもの微笑みで取り繕われたが、彼の網膜にはすでに焼きついていて、手遅れだった。ぞくっと肌が粟立ち、心臓がはねるように鼓動した。
「ヒュ、ッ……ヒュトロ……っ」
 両手がシーツに縫い付けられる。抵抗する気はなかったが、逃れようのない状態に持ち込まれたという事実が、官能に火をつける。
「はっ、あっあっ……待っ……はっあ……」
 ヒュトロダエウスがピストン運動を速めて、ぱんぱんぱん、と空気の圧縮音がなりひびいた。
「……キミのなか、すごく、いいよ……」
 追い討ちをかけるように吐息がふきかかった。ヒュトロダエウスの身体が彼に覆いかぶさり、片手が解放されるかわりに頭を抱えられ、肩口に顔をうずめる形となる。フレグランスの奥に秘められたかれ自身の体臭を感じて、めまいのような興奮を覚えた。聴覚も、嗅覚も、触覚も犯されては、五感のほとんどを支配されているも同然だ。まだ残されている感覚に意識をかたむける。
 味覚……そうだ、これは真似事だから、キスされることはない。あのほほえみを浮かべる唇を重ね合わされることはないのだ——、ちくりとした痛みが胸を刺した。その正体に思い当たって、彼は絶句した。これではまるで、本当に恋をしてしまったみたいじゃないか。
「ぁっ……ヒュ ……トロっ……もう」
 やめてくれ、これ以上は——。
「うん……、ワタシも、イキそうだ」
 舌を動かしきる前にかぶせられて、言葉が引っ込んでしまう。まさか、こんな本当に“出す”はずはないだろうが、心臓がばくばくと鼓動して、胸が詰まった。からだが勝手に“期待”していた。先ほどまで友人であったはずの男がみせる、絶頂の瞬間に。
 あるいは、ヒュトロダエウスには、先の言葉が予見できていたのかもしれない。彼は感覚器官よりも以前に、精神を支配されていたのだ。第六感——エーテル感応を研ぎ澄ませればわかる。かれの魔力に全身をつつまれて、酔わされていることが。
「はー、……気持ちいい……」
 追い込みをかけるように、腰使いが生々しく、激しくなる。ぎゅうと抱きしめられ、ぐりぐりと奥に擦りつけられるようにされて、たわんだローブがずれていく。
 とうとう下着に直接、熱源が触れた。
「あ、っ……あっ……あっ……おかしく、なる……っ」
 ぐっしょりと濡らした布地を擦られて、ぬちぬちと粘着質な音が引く。
 これは本当に“真似事”なのだろうか?
 気持ちよくて、どきどきして、口づけてほしいとさえ……思っているのに。
 ヒュトロダエウスの荒い息遣いに、耳の奥まで犯される。これは本当に演技なのだろうか。この下肢を濡らす分泌液は、果たして彼だけのものなのか。
「ぁっ……ハ、っ……!」
 彼はわけもわからず“視覚”に助けをもとめた。
 ヒュトロダエウスの肩越しに、黄金の瞳と目が合った。
「ぁ……ぁ……ああ……っ」
 ゾクゾクゾクと背筋を電流が駆け抜ける。同時にヒュトロダエウスが、出すよ、と低くうめいて、下着越しに先端が窄まりをえぐった。
「——っ……んっ……ぁ、っ……、っ……」
 下肢の中心にあついものが広がっていく。
 断続的な吐精を繰りかえしている間、彼はハーデスのまなざしに囚われたままだった。
 ヒュトロダエウスは、後孔にぴたりと合わせた先端を、何度かひくひくと脈打たせたあと、余韻をたっぷり残して退いた。視界が一瞬さえぎられて、彼はようやくハーデスから目をそらすことができた。
「…………おや、本当に“出て”しまったのかい?」
 先ほどまでの情感に満ちた声音はどこへやら、ヒュトロダエウスは朗らかな口調でわらった。
 いったいどこからどこまでが本気だったのか。あるいはすべてが演技だったのか。つかみどころのなさに恐ろしくなる。あの射精の痙攣じみた、ひくひくとした動きさえ、自力で随意筋を収縮させていたに違いないのだ。
 彼自身は、今も快感の余韻からぬけ出せていなかった。はぁ……はぁ……と落ち着かない呼吸を吐きながら、解放された手を、なにかを探すようにさまよわせる。本当はハーデスの手に重ねたかったのだ。けれど躊躇してしまった。彼は自分の気持ちがよくわからなくなっていた。
(僕は……どうして……)
 気まずさが喉に引っかかってなにも喋ることができない。“真似事”として終えられたのはヒュトロダエウスだけで、彼はすっかり恋人としての役に入り込んで、本気で抱かれている気分になって、あげくに射精までしてしまったのだ。それも……ハーデスの目の前で。
 ぐちゃぐちゃの感情をもてあまし、ぎゅうとシーツをにぎる。
 その甲をうえからハーデスの手がつつみこんだ。
 彼はおどろいて顔を上げた。
「……セックスについて、理解できたか?」
 それはまぎれもない欲情した顔つきだった。そして、その言葉にどういう意味が含まれているのかさえわかってしまう程度には、性愛の情感も理解できていた。
「まだ……わからない……」
 ハーデスの陰がおりてきて、唇にやわらかなものが触れた。ふー、ふー、と荒い鼻息がかかった。

 ——その夜は“真似事”だけで終わるはずもなく。

「……僕は……どうすればいいのだろう……」
 ハーデスとヒュトロダエウスに挟まれて寝ながら、彼はぼんやりとつぶやいた。
 そもそもハーデスへの想いさえ胸に秘めておくつもりだったというのに、知らぬ間にヒュトロダエウスにはバレていた上に、その恋情さえ“真似事”のせいで錯綜してわけもわからなくなっていたところで、なぜかハーデスに抱かれて、そのあとでヒュトロダエウスにも抱かれたのだ。
 混乱したままめくるめく快感にのまれて、自分の感情の答えは、まだ出ていない。
「どうかする必要があるのか?」
「お……起きてたのかい、ハーデス」
 かれは目を閉ざしたままだった。眠そうな声をあげて、余計なことは考えるなとでも言うように抱きしめられる。
「なんで、あの……君は、僕を……」
「別に……そういうつもりはなかったが、見ていたらその気になっただけだ」
(そういうつもりは……なかった?)
 ハーデスの言葉の意味を汲みとりきれず、彼は眉尻を落とした。つまり気持ちなんて最初から最後までなくて、単純にそそられたから、セックスしただけだというのか。
 それならそれで、かれの言うとおり、なにをどうする必要もないのか——などと考えたところで、ヒュトロダエウスが寝返りを打った。
「それはさすがに、言葉が足りないんじゃないかなあ」
 ハーデスはバツが悪そうにもぞもぞとシーツに顔を埋めた。
「……察しろ」
「ハーデスはキミのことが——」
「待て、わかった、言うからやめろ」
「え、……え?」
 彼は困惑したようにふたりを交互に見やった。ハーデスのほうを向いたとき、彼の頭はがっちりと掴まれて、不意に唇が食まれた。すぐに離れたそれは、ほんとうによく耳をすませなければ聞こえないほどの声量で、たしかに“好きだ”とつぶやいた。
 彼の頬は真っ赤になったが、ハーデスは負けずおとらず耳まで赤くなっていた。
「そういうつもりはなかった、って、何なんだい……?」
「キミと一緒にいられればそれでよくて、セックスする必要性を感じていなかったってことだよ。ほら……“経験”もなかったしね」
「黙れ」
「…………僕も“経験”はなかったけれど……」
(まるで僕ばかりそういうことを考えていたみたいで恥ずかしい……)
「彼がムッツリなだけだと思うよ」
「えっ、僕、今、声に出していたかい……?」
「お前ら、もう寝ろ!」
「おっと……こわいこわい」
 ちっとも怖くなさそうな調子で、ヒュトロダエウスは寝具にもぐりこんだ。
「じゃあ……ヒュトロ、……ダエウスはどうして」
「彼に抱かれたあとのキミの魂の色が、たまらなく魅力的だったんだ。それに……」
「……それに?」
 ヒュトロダエウスは、ハーデスに聞こえないように息をひそめてささやいた。
「……ワタシに抱かれたくて、たまらないって目をしていたからね」
 彼はひゅっと息をのんだ。否定できない事実だった。
「そ……それは……」
「……言っておくが、聞こえているぞ」
「ハ、ハーデス、僕は……」
 しどろもどろになりながら言い訳を考えるも、そんなものは存在しなかった。ハーデスのことを好きだと思う気持ちも、ヒュトロダエウスに抱かれたいと思った気持ちも本当なのだから。
「嫌だと思うなら、はじめから止めている」
 “真似事”だろうとな、とハーデスは続けた。
「心のひろい親友をもてて何よりだよ」
「ハァ……、よく言う。私に少しでも負の感情が生まれたなら、お前が見逃すはずないだろう」
「フフ……どうかな、わからないよ」
 ヒュトロダエウスは意味深な笑みをうかべながら、彼の髪を指先でもてあそんだ。ハーデスは口角をつりあげて、それ以上はなにも言わなかった。
 沈黙のなかで交わされる会話を見つけて、彼はほうっと息をついた。
 きっとハーデスの言っていることは事実で、彼らの間には、決して断ち切れない、友情という名の絆が結ばれているのだ。
(むしろ、僕が少し立ち入ったくらいで亀裂を入れるかもしれないなんて、考えること自体がおこがましいに違いない)
 すうすうとハーデスから規則正しい寝息が聞こえてきたころ、ヒュトロダエウスがひっそりとつぶやいた。
「彼は……ハーデスは……ワタシがキミを独占しようとすれば、身を引くような男だからね」
「……え……それ、は……」
「もちろん、そんなつもりはないよ。キミのかがやきは彼あってのものだ」
 ヒュトロダエウスは、ハーデスの残滓がきらめく彼の唇をすくうように口付けた。他愛のない、児戯のような、やわやわとした触れ合いをしばらく味わったあと、彼はねむるハーデスにも口づけて、ささやいた。
「それなら……ずっと三人でいよう」
 そんなに幸せなことってないだろう?
 彼の提案に、ヒュトロダエウスは優しくほほえんだ。


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