Jeux inconnus

backnext

 彼の手は、ハーデスにすがりついたまま離れなかった。
 本当は“真似事”でもいい、かれの温もりを感じたかった。あさましい欲望だ。このままの関係でいいのだと想いに蓋をしてきたのに、結局は求めてしまう。
 沈黙してしまったふたりに、ヒュトロダエウスは小首をかしげた。
「なにをそんなに頑なになっているのかわからないなあ。……ああ、もしかして、勃っていることを知られるのが恥ずかしいのかい?」
「っ……お前な……」
 エーテル視で見たな、と、ハーデスは恨みがましい目でヒュトロダエウスをにらんだ。
「気にすることはないよ、キミたちは慣れてないからね。そういう雰囲気にあてられて、からだが反応するのは自然なことだ」
(勃っ……ハーデスが、勃って……?)
 彼はさりげなく横目でハーデスの股間を確認した。うまい具合に腕で隠されていてよく見えない。
「……やめろ」
「あっ……、ご、ごめん」
 ばればれだったらしい。彼は羞恥に顔を真っ赤にそめて目をそらした。どう思われてしまったのだろう。けれど、あのハーデスが、性的に興奮しているという事実を思うと、胸が高鳴ってしまうのだ。当然のことだが、かれにもそういう生理的欲求は存在していて、精通だってしていて、定期的な処理もしているはずで……。
「彼のが気になるのかい?」
 ヒュトロダエウスが悪戯っぽい顔をして言った。
「あっ……いやっ……き、君のが僕のより……その、大きかったから……ハーデスのも、そうなのだろうかと……」
 彼の頭は熱っぽくなって、正常な判断ができなくなりつつあった。ちらちらと何度もハーデスを——そのローブの下に隠されたものに視線をやってしまう。
「さわらせてもらえばいいじゃないか」
「ハァ? 何を言って……」
「キミのその態度が問題だよ、ハーデス。彼は純粋に知識をもとめているんだから、協力してあげるべきだ。恥ずかしいことでもなんでもない、これは単なる性愛の研究に過ぎないのに、“経験”がないからって意識しすぎじゃないのかい」
 ヒュトロダエウスの弁舌に、ハーデスは呆気にとられるしかなかった。ぺらぺらとよくもまあ舌のまわることだ、冷静に考えなくても言っていることはおかしいが、反論しようとなるとなかなか難しい。彼はどうみたって、知識欲というより性的興奮でおかしくなっているが、まあ建前として主張できる程度には、“セックス”というものに純粋な興味があるようだ。それにハーデスにとって、協力は“厭”というわけではなかった。ただ……そう、ヒュトロダエウスの言う通り、羞恥心が邪魔をしていただけで。
「……さわりたいのか?」
 ハーデスは彼に先行きをゆだねることにした。“セックス”について知りたいと言ったのは彼であって、自分には関係ない、ただ協力するだけだ。決して触ってほしいとかそういうわけではなく……ハーデスはヒュトロダエウスを視界に入れないようにした。
「えっ……」
 彼はうろたえた。触れたいかと聞かれれば、それはもちろん触れたいに決まっている。だが、ヒュトロダエウスの言うような純粋な知的好奇心など、今の彼にはほとんど存在していなかった。下心しかない。少なくともヒュトロダエウスには丸わかりであるはずだというのに——戸惑いの視線を向けると、にっこりと笑みを深められる。
 ああ、やっぱり、最初からそのつもりだったのだ。
「……触らせて、くれるかい?」
 もうどうにでもなれ! という気持ちで、彼は言い放った。
 ハーデスはなんとも深いため息をつき、重い腰をもちあげて、彼の前にひざ立ちになった。
「……これでいいか」
 突き出された腰はぴんと布地がはっていて、中の存在をはっきりと主張していた。興奮の証を目の当たりにして、彼自身の象徴にも熱があつまる。
 おそるおそる指を伸ばして、ちょん、と突いてみる。びくりと跳ねたことに彼は「あっ」とおどろいて手を引っ込めた。
「……っお前……もう少し、触り方ってものがあるだろう」
「あー、えっと、こうかな……」
 あらためて手のひらでそっと幹をつつみこむ。熱い——しっかりと握りしめると、どくどくと血流の脈打ちが伝わった。指で半輪をつくるようにして根元から雁首までを測っていくと、その太さがよくわかった。長さもある。ヒュトロダエウスのものもそうだが、こんなに大きくて、本当に入るのだろうか。それとも、自分のはそんなに小さいのだろうか。彼は心配になった。
 今度は触れることを避けていた亀頭部を指先でつまんでみる。ふにふにとした柔らかい感触はまったく同じだったが、膨らんだそれは、やはり大きかった。匂いもかいでみたい、けれどそれはさすがに行き過ぎだろうと、欲望に誘惑されながら、雁首の高さを調べていると、はあ、彼の頭上に吐息が落ちる。
「もう……、十分だろう」
 ハーデスは彼の肩をぐいと押しのけた。
「あ、つい夢中になって……ありがとう、よくわかったよ」
 決して快感を高めるような手つきではなく、形を調べることに徹していたはずだが、なにかいやらしさを感じさせてしまっただろうか。彼の手のひらにはまだ生々しい感触が残っている。いつからか息づかいが荒くなっていた。
「出そうだったのかな?」
「……ヒュトロダエウス」
「冗談だよ」
 ヒュトロダエウスは肩をすくめた。
 しかしあながち間違いでもなかった。あれ以上触れられていたら、先走りがローブに染みていたに違いない。ハーデスは興奮を落ち着かせるように深呼吸した。
「それじゃあ、キミも触らせてあげたらどうだい」
 うん、名案だ、とヒュトロダエウスは自分の言葉にうなずいた。
「えっ!」
 彼は口をぱくぱくと開閉させた。ハーデスに触れられる? 想像したせいであらたな蜜が幹をたれおちた。さりげなく股を閉ざしながら、そんなことはさせられないと首を横に振る。
「ハーデスは別に、僕のを触る必要は……」
「さわってほしくないのかい?」
「い、いや、そういう問題ではなくて、だって……」
 どんどん追い詰めてくるようなヒュトロダエウスから、彼は助けをもとめるようにハーデスに視線を向けた。
「き、君もなにか……」
 しかしハーデスはなにも言わなかった。どこか据わったようなまなざしに見返されて言葉に詰まる。眉間の皺が三割増しだ。そんなに怒らせてしまったのだろうか。不安に表情を曇らせる彼に、ヒュトロダエウスが詰め寄った。
「キミの目的はなんだったかな」
「……セ……セックスについて理解すること……」
 気圧されながら答える。ほとんど押し倒されているも同然な体勢になったところで、ヒュトロダエウスは彼の耳元に唇をよせ、官能的にささやいた。
「いいかい……キミはこれから、ハーデスとセックスするんだよ」
 何事かを喋ろうとした彼の唇に、人差し指が押し当てられる。ヒュトロダエウスは言葉を封じたまま、催眠魔法をかけるように彼の脳に語りかけた。
「セックスは恋人とするものだ。ハーデスはキミの恋人で……キミは彼をセックスに誘う。わかったかい」
 これは命令形だ。ヒュトロダエウスの呪文だ。彼には頷く以外の選択肢は用意されていなかった。
(僕は、ハーデスの恋人。
 これから彼を誘って……セックスする……)
 ぞくぞくとした期待が神経をかけめぐる。暗示のかけ方としては軽いものだったが、ヒュトロダエウスに心を開いていること、ハーデスに慕情を抱いていること、性的興奮によって理性の座がゆるくなっていたことから、彼はあっけないほどに陥落した。
「キスをされたら、キミは元に戻る」
 最後に解呪条件をきざみこんで、ヒュトロダエウスが上から退くと、彼は四つん這いになってハーデスに近づき——先ほどまで感触を味わっていた膨らみへ、鼻を押しつけた。
「な、……っ、おい、こいつに何をした」
 ハーデスはぎょっとして彼を押し返しながら問い詰めた。ヒュトロダエウスはにやにやとした笑みを隠しもせずに「大したことはしていないよ」と言いのけた。
「何をしたと聞いている、」
 ハーデスの詰問は続かなかった。彼が覆いかぶさったことにより、シーツが波打って、それどころではなくなったのだ。
 彼は「やめろ」ともがくハーデスを力尽くで押さえつけて、ローブごしに張り詰めたそこに吸いついた。びくっと足が跳ねて、抵抗が弱まったのを見計らって、彼は思う存分に息を吸った。
「か……嗅ぐな……ッ」
「あー……まあ、これはこれで」
 ヒュトロダエウスは、ある意味で予想以上の効果におどろいたが、そのまま見守ることにした。
 “誘う”というよりは、抑圧されていた願望が表に出る形になってしまったが、目的そのものは達成されるだろう。ハーデスは羞恥に暴れているが、本気の抵抗ではなかったし、彼は彼でうっとりとしたように興奮を高めていた。
「は……ぁ……」
 すー……、はー……、と鼻を埋めたまま深呼吸するたび、かぐわしい体臭に酔ったようになる。鼻先で布地をかきわけて、根元とふくろの間にぴたりとくっつけると、匂いはますます濃厚になった。良き市民たるもの、身だしなみはつねに魔法で清潔にしてはいるものの、生物的なフェロモンともいうべき体臭を、完全に消しているわけではない。生き物である以上、新陳代謝があり、汗だってかくのだ。その人間らしさ、個としての存在の証明、ハーデスという遺伝子を感じられる行為に、彼は夢中になった。鼻をひくつかせながら、唇にあたるやわらかなふたつの袋を食む。
「いい加減に……しろっ」
 ハーデスは渾身の力をこめて、どうにか彼を引き剥がした。
「はー、です……」
「聞こえるか、正気に戻れ」
 頬をぺちぺちと叩いて、焦点の曖昧な目をのぞく。しかしヒュトロダエウスの暗示は、まったく解ける気配がない。どうにかしろ、という目線は当然のように無視された。
「……は、です、……僕の、触ってほしい……」
 彼はすっかり発情していた。ハーデスの胸元にすりよって、下肢のたかぶりを訴える。
(いったいどういう状況なんだ、これは)
 ハーデスはなかば途方に暮れた。いっそ流れに身をまかせてしまうべきか。かたわらでじっとこちらを観察している親友の存在を、どうにか意識から追い出して、できるだけなにも考えずに、彼の中心を指ではじいてやった。
「っ……んあ……」
 じんとした快感にからだの力が抜けて、彼はハーデスにもたれかかった。
 ハーデスが、先ほど好きにいじくられた仕返しだとばかりに、ぐっしょりと濡れたそこを揉みしだくと、彼は堪えがたいように身をくねらせた。
 ——言うほど小さくはない。平均よりはデカいんじゃないか。
 熱情から思考をそらすように、気にしていたらしき大きさをたしかめる。それよりも、敏感なところが気になった。刺激に慣れていないのか、あるいは慣れているせいなのか。裏筋を指の腹でぐりぐりと擦ってやると、面白いくらいからだを跳ねさせるので、いつしかハーデスは、彼に快感をあたえる愉しみに没頭していた。
「ぁー、……い、いき……そう……」
「この程度で出るのか、早いな」
 布越しの、しかもたわむれのような愛撫で。
 ハーデスに嘲笑われて、彼はむっとしたような顔をみせたが、その眉尻も齎される快感によってすぐに下がってしまった。
 あのハーデスに触られている、ということを意識するだけで、わけがわからなくなってしまう。
 ほとんど抱きしめられた体勢で、あたたかな体温のなかで、かれのゆりかごのような呼吸に身をゆだねて。顔を上げて意地悪げな笑みを視界にいれたりなどすれば、心臓がばくばくと跳ねて、目をそらしたり、閉ざしたりすれば、今度は感覚が鋭敏になってたまらない。
「はっ、んっ……んっ……」
 血液が限界まで集中し、がちがちに硬くなったそこがひくひくと震える。ハーデスの手によって絶頂に導かれている。精巣をかるく揉まれて、雁首を擦られて、裏筋をくすぐられて、先端をなでられて——足の指が丸まっては開いて、シーツにしわが寄った。
「ぁ……っ」
 迫りくる予感にぴんと脚が伸びる。
「……い……く……っ」
 びくん、びくん、と身体が痙攣する。ハーデスの手に握りこまれたそこから、布地ごしに絶頂の証がつぎつぎにじみ出した。
 ハーデスは焦らすような手つきをやめて、根元からしぼりだすように、彼のものを優しくしごいてやった。
「きもち、いい……」
 “自慰”とは明らかに質のちがう快感。こんなものを知ってしまったあとでは、とてもひとりで処理するだけで満足できる気がしなかった。
「……ぁ……っ」
 臀部にごりっとしたものが押しつけられる。ふーと興奮した吐息が首筋にかかり、彼はあらたな悦楽の予感にふるえた。
「……セックスの真似事をするんだったな」
 ハーデスの両腕が彼をがっしりと抱きしめて拘束した。
「ん……はっ……」
 ぎしっ、ぎしっ、と、下から突き上げる動きにベッドがきしむ。尻のあわいにちょうど挟まるように擦りつけられるものは、火傷してしまいそうなほど熱かった。ハーデスも我慢の限界だったのだ。布地ごしのもどかしさに、かれの腰遣いはどんどん乱暴になっていく。
 ハーデスは無言でしばらく彼を揺さぶりつづけたあと、抱きしめていた力をゆるめて、そのままベッドに押し倒した。
「はー、……うつ伏せになれ」
 余裕のかけらもない表情で下された命令に、彼は恍惚としながら服従した。
 ハーデスが覆いかぶさり、彼の両手をぬいつけ、開いたふくらはぎをさらに上から足でおさえこむ。支配関係の刻みつけられた体勢に、彼らの中枢神経がアドレリンに犯される。
 ためしにその気になれば抵抗できるのか、彼が四肢に力をいれると、びくともしない。ぞくぞくとした興奮に肌が粟立った。
「大人しくしろ」
「んっ……!」
 その動きが伝わったのかハーデスが、ぱん、と腰をひと突きした。どろどろの下肢が、さらにじんわりと濡れてシーツを汚す。彼のからだは完全に弛緩してしまった。もっと突いてほしくて腰を揺らそうとしても、言うことを聞かなかった。どうあがいても逃げられない。
 彼は本能的に戦慄した。
 ハーデスが腰を打ちつけるのにちょうどいい場所をさがして、ぐりぐりと熱杭を押し当てている間、彼は唯一自由である首から上、視線をぐるぐるとさまよわせた。
 おだやかな微笑みを湛えた顔が、どうしたんだい、というように彼をのぞきこむ。
「ヒュ……ヒュトロダエウス……」
 その名を呼んだのは、助けを求めたかったのか、それとも。
「……っひ」
 いずれにせよ言葉がそれ以上つむがれることはなく。
 ぱんぱんぱん、と乾いた音がはげしくなりひびいた。自分の快感だけを追うような、無我夢中のピストンが、何度も何度も尻肉を押しつぶす。それだけではものたりないのか、ときおり腰を密着させては、奥にある窄まり付近を先端でぐりぐりと探る。
「ぁっ、ハーデス、……っ」
 ローブに遮られてはいるものの、確実にすこし食い込んでいる。これでは本当の“セックス”になってしまう。だめだ、本気になってはいけない。邪魔な障害物をはいで、中に挿れてほしいなど求めてはいけない。
 ところで、そもそもどうしてこんなことをしているのだろう?
 ふとわいた疑問に、快感にけぶる脳が、これは真似事ではなく“セックス”なのだと認識しなおした。
(そうだ、僕は、ハーデスと恋人で、……僕は今、彼とセックスして……いるんだ……)
 ハーデスの先端をほんのすこし咥えこまされた後孔が、きゅうきゅうと収縮した。彼はたまらなくなって額をシーツに擦り付けた。精神的には最高潮に興奮しているというのに、肉体的な快感が足りなくて、腹の奥にたまる熱を解放することができない。それはハーデスも同じようで、いつまでたっても終わりの見えない行為に、苦しげな息をもらしていた。
「……はっ、はっ……、はぁ……っ」
「うーん、これじゃあ、恋人同士のセックスというよりは……強姦だね」
 気持ちよさそうだけれど——。
 ヒュトロダエウスは彼の顎をもちあげた。
「…………っぁ……?」
 くちびるを甘く食まれた瞬間、彼の暗示が解ける。
「そろそろ、本当のセックスをしようか」
 “遊び”にすぎなかったはずの、ヒュトロダエウスの“本気”が目の前に突き出された。

 ——彼らの夜が“真似事”だけで終わるはずもなく。

「……セックスって……すごい……」
 ハーデスとヒュトロダエウスに挟まれて寝ながら、彼はしみじみとつぶやいた。
 ハーデスに盛りのついた獣のように抱かれ、なぜかその後は、ヒュトロダエウスにもしつこく貪られ、さらにもう一度ハーデスに抱かれた。その熱狂を止められる理性は誰も持ち合わせてはいなかった。とにかく気持ちが良かったのだ。セックスの快楽が、愛という概念によって高まるのなら、ハーデスに抱く想いも、ヒュトロダエウスに抱く想いも、同じものなのだろうか。
「ハーデス……僕は……君が、好きで……」
「……ああ、さっき何度も聞いたが」
「お……起きてたのかい」
 何度もというのは、彼がハーデスに抱かれながら、幾度も好き、好き、とよがっていたからだ。そしてハーデスにも、たった一度だけだが、好きだと返されたことを彼は覚えていた。
「僕……ヒュトロ、ダエウスに……」
 ——ワタシに抱かれているときは、ワタシがキミの恋人だよ。
 などと言われて、ヒュトロという愛称で呼びながら、ハーデスに対するように好き好きと喘いでいたことを、前後不覚になっていたとはいえ、はっきりと覚えていた。
「嫌だと思うなら、はじめから止めている」
 “真似事”だろうとな。
 ハーデスは、余計なことは考えるなと言うように彼を抱きしめた。
「ヒュトロダエウスはどうして僕を……」
「ハーデスに抱かれたあとのキミの魂の色が、たまらなく魅力的だったからね」
「き……君も起きてたのかい」
 ヒュトロダエウスは、彼を抱きしめているハーデスごと腕のなかに抱えて、満足げな微笑みを浮かべた。
「どうするんだい、ハーデス。彼の心は、だいぶワタシにも揺れているようだけれど」
「そっ、そんなことは……っ」
 しどろもどろになりながら否定の言葉を考えるも、そんなものは存在しなかった。ハーデスに抱かれるのも、ヒュトロダエウスに抱かれるのも、同じくらい気持ちいいと思っていたのは、まぎれもない事実だったからだ。
「まあ……お前に惹かれないやつはいないだろう」
 ハーデスは至極当たり前のことのように言った。
「…………キミって、たまにとんでもないことを言うね」
「ヒュトロ、……照れているのかい?」
 彼は物珍しいものを見ようと振り返ろうとしたが、ぎゅっと抱きしめられてそれは阻止された。
「……心のひろい親友をもてて何よりだよ」
「よく言う……私に少しでも負の感情が生まれたなら、お前が見逃すはずないだろう」
「フフ……どうかな、わからないよ」
 ヒュトロダエウスは意味深な笑みをうかべながら、彼の髪を指先でもてあそんだ。ハーデスは口角をつりあげて、それ以上はなにも言わなかった。
 沈黙のなかで交わされる会話を見つけて、彼はほうっと息をついた。
 きっとハーデスの言っていることは事実で、彼らの間には、決して断ち切れない、友情という名の絆が結ばれているのだ。
(むしろ、僕が少し立ち入ったくらいで亀裂を入れるかもしれないなんて、考えること自体がおこがましいに違いない)
 すうすうとヒュトロダエウスから規則正しい寝息が聞こえてきたころ、ハーデスがひっそりとつぶやいた。
「こいつは……私がお前を独占しようとすれば、おとなしく身を引くようなやつだからな」
「……そう……なのかい……?」
「もっとも、そんなつもりはないが。
 ……独占されたかったか?」
「いや、僕は、……キミたちと、三人でいられたらいいなって」
 ふたりの絆を割いてまで、どちらかを独占しようなど、彼にはとても考えられないことだった。 たがいの言葉の節々から感じる、信頼感が心地よいのだ。自分がいることで彼らが引き離されるとは思わないが、仮にそうなるのだとしたら、真っ先に身を引くのは、彼自身だっただろう。けれど、この関係が許されるなら。
「……ずっと三人でいたいんだ」
 そんなに幸せなことってないだろう?
 彼の提案に、ハーデスはそうだな、と小さく笑った。


backnext