貞操帯

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 とんとんとん、とハーデスの指が自身のこめかみを何度も叩く。眉間の皺は深くきざまれていて、かれと特別親しくない者が見ても、かれの機嫌がよろしくないことは明らかだ。
 とても話しかけにくい様子ではあったが、そんなことはまったく気にしない人物がいる。かれの親友であるヒュトロダエウスだ。機嫌の悪さを無視するどころか、触れられたくないであろうことを、遠慮なくズバリと言い当てる。
「彼が帰ってこなくて寂しいのかい」
 じろっと鋭い視線が飛んできたが、ヒュトロダエウスはどこ吹く風といった微笑みで受け流した。
「たしかに、今回はまたすこし長いね」
「……誰もそうだとは言ってないが」
「おや。キミが心を乱される事柄なんて、彼のこと以外にあったかな」
 言葉でヒュトロダエウスに勝つのは至難の技だ。エーテルにかぎらずなんでも見透せるのではないかとさえ思うその眼は、ハーデスの深層心理を丸裸にしてしまう。いくら否定したところでヒュトロダエウスのなかでは確定している事柄だし、事実それは図星に他ならなかった。
 “彼”がアーモロートを発ってずいぶん経つ。
 彼が姿を消すのは珍しくない。
 ハーデスは、彼が行方知れずになってしばらくは、また旅にでも出たのだろうと、そのことを気にも留めなかった。季節が移り変わる頃になって、最近あいつのエーテルを視ていないなと、ふと頭によぎった。なにかとヒュトロダエウスが、今回のように、寂しいのかい、どこにいるのか視てあげようか、なんて余計なおせっかいを焼きにくるが、それを素直に聞き入れたら、やたらとあいつのことを気にしているかのようで癪だ。だいたい、知ってどうするというのか。どうせ夢中になるものでも見つけて、時間を忘れているに決まっている。それにヒュトロダエウスのことだ、あいつに何かあれば、すぐに報せてくるに違いない。
「……そのうち帰ってくるだろう」
「キミの気持ちもわかるけれど、もっと素直になってもいいんじゃないかな。キミは彼の恋人なのだから」
「あいつのやりたいことに、私が口を挟むつもりはない」
 キミも頑固だなあ、とヒュトロダエウスは苦笑いした。ハーデスの“寂しい”という感情は、彼を引き留めるための理由になり得ない。なぜならこの親友は、自由を謳歌する彼を愛しているからだ。自分がその枷になることを良しとしない。
 けれど“あの人”だって、ハーデスを寂しがらせることは本意ではないはずだ。ハーデス自身が寂しいなんて態度を微塵も見せようとしないので気づいていないが、もしも、それを知ったなら今すぐにでも帰ってくるだろう。
 互いを思いやりすぎるのも考えものだ。せっかく思いを通じ合わせているのなら、少しくらいわがままになるべきなのだ。愛する者に心の痛みをひっそりと隠されていたら、それこそ寂しい。
 とはいえ、彼らの問題は、彼らのものである。
 ヒュトロダエウスにできることは、その背を押すことくらいだった。

 ——試してほしいイデアがあってね。
 アーモロートに一時帰還して早々、人民管理局にて、待ち伏せをしていたかのように出迎えてきたヒュトロダエウスにそう言われて、彼はあまり深く考えずにこれを承諾した。
 ハーデスに一目会いたかったのだが、今はカピトル議事堂で“エメトセルク”としての職務に従事している。かれが十四人委員会の一員となってから、自分のために時間を割かせることをどうも遠慮してしまう。
「ハーデスを待たないのかい」
 創造物管理局の局長室では、イデアの込められたクリスタルが所狭しとならべられている。
 ヒュトロダエウスはそのうちのひとつを手に取って、彼を振り返った。仮面の奥のまなざしに見つめられると、どこか居心地が悪くなるのは、心のどこかに罪悪感を飼っているからだろうか。
「ん……忙しいだろうし」
「せっかく帰ってきたのに、顔も見せずにまた行ってしまったことを知ったら、とても寂しがると思うな」
「ハーデスが? まさか。“お前がいないおかげで、厄介ごとに巻き込まれることが少なくて何よりだ”なんて思っているだろうさ」
「そんなこと言われたのかい?」
「……前に帰ってきたときに」
 ヒュトロダエウスは「ハーデス……キミってひとは……」と珍しくため息をついた。親友の考えていることはよくわかる。自分の感情が彼の枷にならないよう、わざと突き放すような物言いをしたのだろう。
 このままでは、離れ離れになることはないにせよ、平行線をたどるばかりだ。お互い一歩ずつ歩み寄れば、問題はすべて解消するというのに。
 ここはやはり、ふたりの友人として手を差し伸べるべきだろう。うん、それがいい。ヒュトロダエウスは思考を切り替えた。ちょうど認可はできなかったものの、非常に興味深いイデアが持ち込まれていたところだ。
「それで、試してほしいイデアって……」
「ああ、うん、これなんだけれどね」
 ヒュトロダエウスの手におさまるクリスタルがまばゆい輝きを放ち——。
「あっ……⁉︎」
 ずしっと重い感触が下半身に加わり、彼はおもわず股間をおさえた。ローブの上からごそごそと確かめると、下穿きのなかで、硬いなにかが股を覆うように取り付けられているようだった。ちら、とヒュトロダエウスに目を向ける。その微笑みが常より愉しげなのは気のせいではないだろう。
「な、なにをしたんだい」
 彼は居心地悪そうに、足をもじもじと擦り合わせながらたずねた。ローブをめくって確かめたいところだが、さすがに憚れる。
「それは拘束具の一種で、禁欲をするためのものだよ」
「き……禁欲? どうして僕にそんな」
「それを着けていると自慰行為や、性行為ができなくなるけれど、なにか問題はあるかな?」
「問題というか……」
「おや、海向こうにそういう相手でもできたのかい」
「いやそういうわけでは……」
「それなら問題はないね」
 たたみかけるように言いくるめられて、彼は愕然とした。まったく意味がわからない。かといって、いいから外してくれ、などと訴えれば、そんなに自慰行為や性行為がしたいのかい。なんてにっこり微笑まれてしまうだろう。ヒュトロダエウス相手に、墓穴を掘るハーデスはよく見てきている。
 ——しかし、男として禁欲は少々つらいものがあるのは確かだ。やはり、開き直るしかない。
「自慰……が、できないと、僕はこまる」
 頬が熱くなるのを感じながら、彼は白状した。
「へえ……困るのかい」
「それは、もちろん……健全な男子として、定期的にそういう行為は必要じゃないか。あまり出さずにいると子種の質も悪くなるというし……あ……いや、そんな相手はいないけれど……」
 彼の恋人であるハーデスは同性であるし、特別、子を成したいと思ったこともない。
 結局のところ、自慰の快感が味わえなくなるのがつらいというか、溜まってくると、そのことばかり考えて、いろいろと集中できなくなるというか。そういうのが問題なのだ。
「わ、わかるだろう?」
 だいたいヒュトロダエウスだって男なのだ。欲求不満になる気持ちくらいわかるだろう。と、仮面の奥のまなざしを覗きこむ。
「ううん、ワタシはあまり気にしたことがなくてね」
 これは絶対に嘘だ、と彼は確信した。可笑しそうに細められた目と、半笑いの口元がその証拠だ。ヒュトロダエウスの冗談はたちが悪い。焦がれた視線を送られることが多いことも、来るもの拒まずなその姿勢も、なんなら初体験が早かったことも、親しい人なら皆知っていることだ! そんな男が、あまり気にしたことがない、なんて言ったところで信じられるだろうか。気にするほど相手に困ってないとでも言いたいのだろうか。などと邪推してしまいそうになるほどだ。
 彼のじっとりとした視線を受けて、ヒュトロダエウスは「フフ、いや、そんなに睨まないでおくれ」と肩を竦めた。
「困るのは、自慰ができないことだけなのかい」
「……まあ……うん……」
 暗に含まれた意味を察して、彼はまた頬を赤らめた。
 ハーデスとのことを言っているのだろう。たしかにふたりきりでゆっくりする時間があれば、そういうこともする。けれど最近はめっきりご無沙汰だ。それにハーデスは肉体的な交わりに関して淡白なきらいがある。エーテル交感をすれば、どうしても肉体的にたかぶってしまうが、その発散のついでといったようなものだ。
 だから、そちらの方面では、困らないといえば困らない。
「キミは、ハーデスとセックスをしたいとは思わないのかい?」
「っ……いや、そんなことはないけれど」
「でもキミは彼に会いもせずに、また発ってしまうのだろう?」
「……邪魔はしたくないんだ」
「久しぶりに会う恋人を邪魔だなんて思うわけがないよ。ハーデスが素直じゃないのは、キミだってわかっているだろう」
 彼はぴくっと肩を反応させた。たしかに、ハーデスの性根が不器用なのは、かれらの共通認識事項だった。それにヒュトロダエウスは、ハーデスが本当は寂しがり屋であるという。
「…………正直に言うと、僕は、すこし、腹が立っているんだ」
 ヒュトロダエウスに対して、これ以上ごまかすのは無理だと判断した彼は、むずかしい表情をしながら白状した。
「ハーデスが寂しくてたまらなくなって、彼から僕に接触してこない限り、会いたくないと思っている」
「おやおや……たしかに、邪険にされて怒る気持ちは想像できるけれど。元はと言えば、キミがハーデスを放置して、ほとんど帰ってこなかったせいじゃないかな。彼も意固地になっているんだろう」
「……それは、反省しているさ……」
 彼は気まずそうに目をそらした。会いたくないと思いながらも帰ってきたのは、その罪悪感があったからだ。いないほうがいいようなことを言われて、少々かちんときたのは確かだが、本当はつまらない意地などはっていないで、なりふりかまわずハーデスに抱きつきに行きたかった。けれどまた拒絶されたら、と思うと、踏ん切りがつかなかった。ひどいことを言ってしまったらどうしよう。この醜い感情をさらけだしてしまったら。自分勝手にかれを放っておきながら、かれに思うように迎え入れられなかったことに腹を立てる、子供じみた未熟な精神を知られたくない。
 だがヒュトロダエウスには、すべてお見通しなのだろう。彼の気持ちも、ハーデスの気持ちも。
「その……ハーデスは、本当に、僕がいなくて……寂しいと思ったりするのだろうか」
 今までに寂しいなんて感情を、ハーデスがぶつけてくることは一度もなかった。自分の感情を言葉にするのが苦手だということは知っているが、だからといって、寂しいと感じてくれているかはわからない。
 もしかすると旅に出るようになってしばらくは、そういう思いをさせていたかもしれないが、すっかりいないことに慣れてしまったのでは、とか、エメトセルクとなってからは、恋人にかまっていられるような時間もなく、いなくてありがたいと言うのは本音なんじゃないか、などと考えてしまうのだ。
「キミは鈍感なようでいて、ときどきひどく繊細になるなあ……ハーデスがキミを恋しがっているのは間違いないけれど、彼も頑固だから、キミが大人になる必要があるかもしれないね」
「……彼の親友である君が言うことだ。努力しようと思う。ところで……これはいつ、外してくれるんだい……」
 彼はまた膝を擦りあわせた。性器をきゅっと締めつけられる感触に、ずっと違和感を覚えているのだ。
「ハーデスに外してもらえばいいんじゃないかな」
 にっこりと微笑まれて、彼はあんぐりと口を開けた。
「い、いや、どうしてそんな」
「会うきっかけにもなってちょうどいいだろう?」
「そういう問題じゃ……」
「彼のエーテル紋に反応するように“仕掛け”をしておいたからね」
 ああどうやら、ここまでのシナリオが、ヒュトロダエウスのなかにすでに描かれていたらしい。と天を仰ぐほかなかった。
 彼は、ヒュトロダエウスの術をやぶれるほど魔法に精通しているわけではない。解除をたのむなら、ハーデスが適任だろうが、それこそ本末転倒だ。かといって他の優れた魔道士に頼もうとしても、股座を見せて、どうにかしてくれなどとはとても言いがたい。やはり自分で外すしかないのだが。
「むりやり外すこともできるだろうけれど……あまりおすすめはしないなあ」
 彼の思考を読んだように、ヒュトロダエウスは微笑みをたやさず言い放った。彼はぎくりと身をはねさせた。無理やり外そうとすれば“ソレ”ごともがれると暗に言っている。思わず想像して、拘束具のなかできゅっと中身がちぢんだ。後から治癒できるとはいっても、間違いなく避けたい事態だ。
「…………どうしても、なのかい」
「どうしても、だよ」
 彼はがっくりと肩を落とした。この手のやり取りでヒュトロダエウスに勝てるわけがなかったのだ。

 だからといって、すぐにもハーデスに会おうという気にはなれない。実際にかれは忙しそうであるし、心の準備も必要だ。ヒュトロダエウスにつけられた拘束具についても、解除を頼むかどうかは別問題だ。だいたいなんと説明すればいいのか——そこまで考えて、彼は(いや、ヒュトロダエウスにイデアを試したいと言われたといえば、すべてを察してくれそうだ)と思い直した。
 ——とはいえ、だ。
 彼は久方ぶりに自宅へと帰った。ずいぶんと長らく留守にしていたが、魔道具たちがサッサカサと、きちんと室内をきれいに維持してくれていたので、埃にむせることもない。滅多に街に戻らない上に、滞在中はハーデスのところに入り浸ることが多かったので、自宅へ帰るのは本当に久しぶりだった。
 つるを伸ばして甘えてくる観葉植物を撫でてやってから、靴を乱雑に脱ぎちらかし、ひとり用のベッドに飛びこんだ。シーツがぼふっと波うって、やわらかなバネが揺れる。顔を埋めた布地からは清涼なかおりがして、肌をすべる感触はなめらかだったが、妙に冷えこんでいるように感じた。
 彼はぶるっと身をふるわせると、膝をかかえるようにして丸くなった。股座の拘束具がぎゅうっと圧迫されて、存在感を主張してくる。
 もう人目をはばかる必要もない。ローブをたくしあげ、下履きをずりおろし、下腹部をのぞきこむ。だらんと垂れ下がった性器の見た目はいつもどおりだ。だがすくいあげるように触れようとして、その硬質な違和感に息をのむ。
 ——なにかに、覆われている。
 性器にはたしかに締めつけられる感覚がある。皮膚感覚が失われているわけではない。かたくてうすい膜のようなものが性器を覆っていて、外部刺激を遮断しているのだ。やわやわと揉んでみても、筒状のかたい膜に邪魔されて、刺激を得ることができない。
 自慰ができないと困るとは言ってみせたが、彼自身はそれほど多く慰めているわけではない、と思っていた。暇があれば一日に一度はするが、なにか夢中になってしまうようなことがあれば、夢精するまで忘れていることもある。意外と平気なのではないだろうか。と、彼は前向きに考えた。
(今夜……ハーデスに会いにいこう……)
 長旅の疲労は思ったよりも蓄積していたらしい。アーモロートのおだやかに流れる時間の中で、彼は日が沈むまでのつかの間の眠りについた。

「……っ……ん」
 下半身に妙な圧迫感をおぼえて、彼は目覚めた。
 上体を起こし、暗い室内をながめて、しばし思考する。住居というもので眠ったのはひさしぶりで、ここが一体どこなのか忘れたのだ。
(……そうだ、僕は街に帰ってきて……)
 ……よもや性器に拘束具をつけられたのだった。
 下半身に覚えた違和感は、副交感神経が優位となった際の生理現象が、物理的に阻害されたこと——要するに“朝立ち”を許されなかったことによるものだった。痛みはないが、許される範囲で血液は集中しており、締めつけられる感覚がして、どうも普通に勃起しているときよりも、変な気分になる。
 ごまかすようにあたりを見回す。街並みを一望できる窓から、日差しのかわりに、やわらかな夜の灯が、室内をうっすらと照らし出していた。
 彼はひとりきりの部屋にいることが、急にもの寂しくなった。旅をしているときはそんなことはないというのに。この街ではひとりきりで過ごすことなど、ほとんどなかったせいだろう。
 ハーデスに会いたい、と思った。
 会いにいかなければではなく、ただかれが恋しくなった。けれど同時に恐れもおおきくなった。思っていたよりずっと、かれにかけられた言葉がこころに引っかかっているようで、悪い想像ばかりしてしまう。
 もしも、なんだもう帰ってきたのか、と冷たいまなざしで言われたら。あるいは一瞥もくれずに、何か用でもあるのか、なんて言われたら。胸がぎゅっと締めつけられるようだった。やはり、大切な人を置いてどこかへ行くような男など、恋人として相応しくないのではないか。愛想を尽かされているのではないか。別れを告げられたら、どうすればいいのだろう。いや、気持ちが残っていない時点で、追いすがろうとしても、どうしようもないことだ。おとなしく受け入れるしかない。ヒュトロダエウスは、かれは寂しがっていると言っていたけれど、本当にそんな思いをさせているなら、なおさら、いっそ、離れてしまったほうが——。
 鬱々とした思考にのまれそうになったとき、魔道具のひとつが、彼に来客をつたえた。おとずれたのはなんと、当のハーデスだった。
「……ひどい顔だな」
 出迎えて開口一番にそう言われ、彼は仮面をつけ忘れていたことに気がついた。
「っあ……そんな変な顔をしていたかい。起きたばかりだからか、その、ごめん」
 あわてて隠そうとして、ハーデスも“エメトセルク”の象徴である赤い仮面を外してしまったことにより、制止される結果になった。
 いつもの眉間の皺は、心なしかいつもより深くきざまれているように見える。ひさしぶりに目にする恋人のかんばせに、まるで生娘のように頬があつくなって、胸の鼓動がはやくなる。かれを好きだと自覚する前は、素顔を見たところでなんとも思わなかったというのに、自覚してからは、かれのすべてが愛しいとおもう。
 同時に、下半身にむずっとした感覚が走る。あまりにも正直な反応に、彼は頭をかかえたくなった。こんなことってないだろう。拘束されていることを意識したせいだ。さすがに目を合わせていられなくなって、視線をそらす。
 なぜ、ハーデスはわざわざここに来たのだろう。帰ってきたことはヒュトロダエウスが伝えたのだろうが、かれ自らたずねてくるなんて思いもしなかった。
「……疲れているなら、出直すが」
「い、いや。大丈夫。とりあえずあがってくれ」
 といっても来客をまったく想定していない室内だ。混乱のあまりそのままベッドに座ってから、椅子やらなにやらを創造したほうがよかったかと後悔したが、ハーデスは特に気にしない様子で、彼のとなりに座った。シーツが沈んで、近くなった気配に、股座がむずむずする。
「……えっと」口をひらいたものの、続く言葉が見つからずに口ごもる。なにか用かい、というのは他人行儀すぎるというか、一応は恋人なのに用がなければ会ってはいけないようでよそよそしい。君が会いに来るなんてめずらしい、なんて言えば、いつも真っ先に自分から会いにいっていたのに、今日はどうしてそうしなかったのか、藪蛇になってしまう。
「……ひさしぶり。君こそ疲れていないかい」
 結局、無難なところに着地した。
 ハーデスはただ簡潔に「ああ」とだけ答えた。いつもなら心地よいはずの沈黙がいたい。
「どうした。何かあったのか」
 あからさまな態度の変化に、ハーデスが気付かないわけもない。優しく声をかけられて、彼は急にこみあげてくるものを感じた。
「ごめん……ハーデス……」
「何を謝っている。謝るようなことをしたのか」
「……僕は……君にふさわしくないと思って……」
「……ハァ? 何を言っているんだ、お前は」
 ハーデスは呆れたようなため息をついた。そんな些細な仕草に、おびえたように身をすくませてしまう。けれど不器用な言葉をおぎなうように、その手に背を抱かれて、彼は「っ……ぁ……」と声を漏らした。
 触れられたそこから熱がじんわりと広がる。身震いしそうになってぐっと体にちからをこめると、その強張りを緊張と察したのか、ハーデスの手が背をやさしくさすった。
(どうして、こんな)
 彼は唇を引きむすんで、こみあげる性感を堪えた。
 ハーデスに性的な意図など欠片もないというのに、からだが勝手に反応してしまう。かれの思いやりを浅ましい欲望で上塗りしてしまう。産毛がさかだって、拘束具の中で性器がひくひくとふるえる。
「や、めてくれ……」
 これ以上はたえられない、と彼は、ハーデスの手をやんわりと押しのけた。
「……帰ったほうがいいようだな」
「あ、ち、ちがうんだ」
 あわてて立ち上がりかけたローブのすそを握りしめる。これではまるで、ハーデスを歓迎していないかのようだ。せっかくかれから訪ねてきてくれたというのに。
 ハーデスは「何がしたいんだ」と相変わらず呆れた声で、けれど彼のとなりに座りなおした。
「君に会えてうれしい。来てくれてありがとう。僕も起きたら会いにいくつもりだったんだけれど……」
 彼はともかく素直な気持ちをのべた。言い訳じみたこともついでに口にしてしまったが、ハーデスはただぶっきらぼうに「ああ」と顔を背けただけだった。その仕草が照れ隠しだということは、彼も知っていた。
 ふたたび沈黙がながれる。
 ハーデスに触れられたところの熱の余韻がさめない。
「……お前の、なにが私に相応しくないと言うんだ」
 唐突にそう、ぽつりとこぼされる。
 平坦な声音で感情は読めなかった。
「君をずっとひとりに……ないがしろにしていたと思って」
「あいつに何か言われたのか」
 かれの言う“あいつ”とは、ヒュトロダエウスのことに違いない。彼が正直に「君が寂しがっていると聞いた」と答えると、ハーデスは頭をかかえるようにしてため息をついた。
「余計なことを……気にするな。お前はお前のやりたいことをすればいい」
「……君の気持ちは? どうなるんだい」
「あいつの言ったことをあまり真に受けるなと言っている。別に……お前がいなくても変わりはない」
 ハーデスにとって、その言葉はあくまでも彼を思いやった故のものだった。お前が何をしていても、どこにいようと、気持ちは変わらないと。しかし今の彼にたいしては、あまりにも言葉足らずだったと言わざるをえないだろう。
「いなくても、変わらない、か」
 彼は自嘲するようにつぶやいた。それはそうだろう。ほとんどそばにいないまま、年月を重ねて、ハーデスはすっかりその生活になじんでしまったに違いない。いいことではないか。かれの心に寂寥という影を落としていないのなら。
 そもそも、そこまでかれの心を占めていると思うのが、うぬぼれが過ぎていたのかもしれない。ハーデスは言葉よりも態度でしめす人物だし、こうして自らたずねてきてくれる程には、想われているのは事実だろうが、……いなくても変わらないような相手を、恋人といえるのだろうか。
「君はどうして僕にそこまでしてくれるんだ、ハーデス」
「そこまでも何も、たいしたことはしていないだろう」
「……君は僕を待ち続けてくれるじゃないか」
「お前は、逆の立場だとして、同じことをしないのか」
「それは……待つに決まっている。君をいつまでも」
 彼は裾をにぎりしめたままの掌から、そっと力を抜いた。
「でも、……君が僕を待つ必要は……ないだろう」
「……どういうつもりだ。何が言いたい」
「君には、もっといい人がいる」
 彼の言葉を聞くやいなや、ハーデスはさっと立ち上がった。
「それを決めるのは、お前じゃない」
 静かな口調だったが、怒りに満ちたまなざしが彼を見下ろしていた。ひどいこを言ってしまった、と彼は思ったが、取り消すつもりもなかった。意地でも目をそらさずに言葉を返す。
「いなくても変わりないなら、僕である必要はないじゃないか」
 一瞬、カッと熱いものに照らされたようだった。
 彼は思わずのけぞって、ベッドに倒れこんでしまった。ハーデスの魔力の猛りが伝わったのだ。闇のなかに見えない巨大な影の気配を覚えた。かれの膨大な魔力が、そのような錯覚を起こしているのだ。
 ハーデスは圧倒されている彼にゆっくりと覆いかぶさった。
 その険しい表情は、今は怒りというよりも、なにかに耐えるような、苦悶の感情のように思えた。
「お前のほうなんだろう。必要がなくなったのは」
「——、なぜ、僕が」
「あいつにだけ会う理由が他にあるのか」
 まさか、そんなことを気にしているのだとしたら、それならヒュトロダエウスの言ったことは、まさしく真実ではないか、と彼は息をのんだ。いくら親友の言うこととはいえ、かれはときどきまったくの“ほら”を吹くこともあり、信じきれなかったが、今のハーデスの態度はどうだ。今まで何度も鈍感だと揶揄された彼でも、今度ばかりはその激情のゆえんが理解できた。
「……ひとつ誤解があるようだけど、ヒュトロダエウスにだって、僕は会おうとして会ったわけじゃない」
「——何?」
「人民管理局で手続きをしようとしたら彼がいたんだ」
 つまるところ待ち伏せられていたわけだが、その理由がイデアを試したいというものであったことまで話すと、当のイデアについても追及されかねないため、彼はそれ以上の言葉は濁した。
 けれど、ハーデスには何か得心がいったらしい。何度目かもわからないため息をついて、その身に燃えさかる魔力も鎮まった。
「だが、私を避けていたのは事実だろう」
 じっと見下ろしてくるハーデスの視線を避けるように、彼は顔をそむけた。
「……それは……ただつまらない意地を張ってしまっただけなんだ。君に寂しい思いなんてしてほしくないのに、いざ君がなんとも思っていないと、無性にやるせない気持ちになって……」
 心の泥濘を吐露していく。
 ヒュトロダエウスには素直に話せたことが、ハーデスの前ではなんと口の重くなることか。かれの前では自分をより良く見せようとしてしまうのだ。そうしてずっとかれの特別でありたいと思う。
「……子供じみているだろう?」
「ああ、まったくだ」
 彼は突然の刺激に、びくっと身を跳ねさせた。
 ハーデスの指先が、うぶげをかすめるほどの優しさで、彼の輪郭をなぞったのだ。指はそのまま顎まですべりおちて、そむけた顔をやや強引に正面にむけた。
「……っ、ハーデ、ス……、んっ……」
 陰がおりて、食らいつくように唇をふさがれた。
 彼は必死に腰をひいたが、身じろぎを許さないとばかりに覆いかぶさられて、上唇をすくわれる。かわいた粘膜を押しつけるだけのキスだったが、角度を変えるたびに鼻先がかすめたり、息づかいや匂いをかんじて、しびれるような快感が窮屈な股ぐらに集まった。性器がきゅうとあまく締めつけられる。
 拘束具が当たらないように膝をたてながら、快感を逃すように足指でシーツをかいていると、ハーデスはたっぷりと余韻をのこしながら、ほんの少しだけ空気の通り道をあけた。
「はぁ……」と熱っぽい吐息が、彼のくちびるを曇らせる。
「……わかったか?」
「ん……」
 久しぶりに味わうハーデスの熱だった。黄金色の瞳を直視できずに、視線をさまよわせる。
 まだわからない、といえばもっと触れてくれるのだろうか。けれど拘束具の存在に思いとどまってしまう。
「なんだ、ずいぶんとしおらしいじゃないか」
 ハーデスは珍しく“そういうこと”に乗り気なようだった。弱ってみえる恋人の姿に捕食本能でもそそられているのか、からかいの声音に甘い色がまじっている。キスするときや触れあうときは、どちらが先にはじめたとしても、彼はいつも積極的にハーデスに触れていた。無抵抗に、一方的に受け入れることは、思えばはじめてかもしれない。
 君はそっちのほうが燃えるのか、なんて知らなかった一面に関心を寄せていると、ふたたび唇が重ね合わされる。
「ふ……ぁ」
 吐息による湿り気をおびた粘膜がやわらかい。髪の生え際から頭皮を慈しむようになでられる。ハーデスは口調こそぶっきらぼうで、冷たさを感じることもあるが、性急に事を進めようとしない丁寧な愛撫は、かれの本質を示していた。
 ああこんなに愛されているのに、ひどいことを言ってしまった、と恥ずかしくなる。どうして信じきれなかったのだろう。
 彼はキスをしながら、うっすらと目をあけた。ハーデスはまぶたをしっかりと閉ざしていて、至近距離でも表情がいつもより緩んでいるのがわかった。
 口づけを受けながら、ぼうっとしてしまう。いつまでもかれを見ていたいと思っていると、唐突に唇がはなれて、眉間にぎゅっと皺をもどしたハーデスが「……何を見ている」と不機嫌そうに言った。
「君に、見惚れていて」
 素直に白状すると、ハーデスは片眉をつりあげた。
「そんなに見目のいいものではないと思うが」
「関係ないよ。僕が好きなんだ」
 ハーデスは少し困ったような、恥ずかしがるような、そんな視線の逸らし方をして「そうか」と短く返した。案外かれは表情が豊かでわかりやすいところがある。しかめ面ばかりしているので気付きにくいがその瞳は雄弁だ。
 もう勘違いしたりしないように、まなざしにひそむ感情をじっと観察していると、不意にハーデスの頭が下がった。
「ん……っ」
 首筋に、吸いつかれた。ぴりっとした感触が残る。
 ハーデスはあまりそういうことをするような性質ではないと思っていた。かれはことのほか興奮しているらしい。めったに向けられることのない欲望の熱に焦がされたい、好きにされてしまいたいというのに、性器をぎゅっと締めつけられる感覚が、理性を投げ捨てることを許さない。
「…………どうした」
「は……ぁ……な、なにがだい」
 黄金色のまなざしの奥に、ぞくっとするような炎の魔力がうずまいているのが見えるようだ。
 彼が目を背け続けていると、フーっ、と熱を冷ますような深いため息が落ちて、覆いかぶさっていた身が退いた。ハーデスはそのまま彼に背を向けて、ばつの悪そうな仕草で、がしがしと後頭部をかいだ。
「ぁ……ハーデス……」
「……疲れているんだろう。寝ろ」
 パチンッと指がならされると、半身を起こしかけた彼は、上掛けをしっかりと顎の下までかけられて、強制的に寝かしつけられていた。
「帰る、のかい」
「…………お前は、ひとりで寝ることもできないのか?」
 呆れたような声に、反発心はもうわかなかった。ハーデスにとっては恋人がいない生活が当たり前で、そうさせてしまったのは自分に責任があって、かれの日常を乱す資格などないのだと。
「……ごめん、もう引き留めないよ」
 冬のすきま風のような冷たさが、心の中に吹きこんで、威勢や自信といったものを枯らしてしまったようだった。上掛けを自分で口元まで引き上げて、ため息を隠す。
「……お前……」
 ハーデスはそんな彼の様子に、面食らったように目をまるくした。だいたいこの男は遠慮というものを知らなくて、不器用で自分の心のうちを明かしにくいハーデスとは対照的に、恥ずかしげもなく自分の本心を口にしてくるようなやつなのだ。だから今回もいつものように、一緒に寝てほしいだとか、断られる可能性など微塵も考えていない欲求が返ってくると思っていた。そうしてハーデスは、そこまで言うなら、と断る理由も失って、彼の望みどおりにしてやるというのが、彼らの決まった習慣のようなものだった。
 急に控えめな性格になられると、それはそれで面倒なものだな、とハーデスは自分の性格を棚に上げてため息をついた。
 ただどういう態度であっても、ハーデスは、彼の願いを叶えてやらないことはなかった。
 しおらしい彼に対しても、何も言わずに上掛けを勢いよく引き剥がしてとなりに寝そべり、また雑にかけてやる。
「……は、ハーデス?」
「さっさと寝ろ」
 と言いながら反対側を向いた拍子に、上掛けが半分ほどハーデスに巻き込まれて、彼の取り分がほとんどなくなってしまった。わざと、なのだろうか。と彼はわずかに思案した。そもそもハーデスが寝るときは、行儀のよい仰向けの寝相になることを彼は知っている。
 寒いというほどではないが、やはり、身体にかけるものがないと寝るには落ち着かない。
 彼はおそるおそるハーデスの背中によりそった。ローブ越しに筋張った背中に触れると、ぴくっと驚いたような反応が返ってくる。どうもわざとではなかったらしい。
 振り向いたりはしない頑なさに安心して、彼はもぞもぞと寝返りをうち、背中をぴたりとあわせて目を瞑った。
 ——が、眠れるわけがない。
 身体の緊張が伝わったりはしないだろうか、と彼は息づかいにも慎重になるほどだった。背中越しの体温や、呼吸のふくらみ、まだ起きているであろう意識の気配。ともに眠ったことなど何度もあるというのに、はじめて“そういう”雰囲気になったときのような感覚だ。
 あけすけに言えば、ムラムラしていた。
 のまれるような魔力や、欲情の熱にあてられたのかもしれない。気乗りしない様子を見せてしまったことが心苦しかったが、この貞操具をどうにかしないことには……。
 ハーデスも……まだ持て余していたりするのだろうか。
 そう考えてから、彼はしまった、と口を引きむすんだ。むくっと膨らんだ性器が締めつけられる。その刺激さえ甘く性感をかきたてた。
「……は…………」
 ただの身じろぎのふりをして、手を股の間にはさむ。
 指だけでくるくるとなぞってみるも、やはり全体的に高度な魔法障壁に覆われていて、感触がつたわらない。こんなもののために、ずいぶんと手の込んだことをしている。いかにもヒュトロダエウスのやりそうなことだった。
 そもそも排泄はどうするのか、と考えて、先のほうに指を伸ばす。
「……っ」
 じんとした快感が走り、喉まで出かかった声をどうにか堪える。
 排泄孔がしっかりと創られている。いや、これは“敢えて”のことではないかと彼は思った。ほんのかすかに尿道口をくすぐることができる、そのために創られたものなのだ。
 罠にはめられまいと、息遣いを抑えることも忘れて、深呼吸する。くちくちといういやらしい音がわずかにひびいて、とろ……と指にぬるい液体が垂れる。拭うそぶりでまた尿道口に触れて、全身がぴんと硬直する。手が止まらない。
 ——気持ちいい……。
 なにもない状態であれば、こんなゆるすぎる刺激に、過敏になることもない。だが自慰を“禁止”されている状況、ハーデスと触れ合っていること、そのかれの欲望を垣間みたことで、勃起しきれない性器が感度ばかりを増している。
「……っ……ん……」
 もどかしさに額をクッションに擦りつける。いくら敏感になっているとはいえ、鈴口をかすめるだけの刺激で達せられるわけがない。
 思いきりしごいて射精してしまいたい。そんな欲望のまま、貞操具ごしに性器をにぎり、小刻みに擦りだす。もちろん望む快感が得られることはなく、はがゆい思いだけがつのった。先走りだけがひっきりなしに排泄孔からあふれて、シーツに糸を引く。
 ——ハーデスなら外せるよ。
 悪魔のささやきが(想像上のそれはヒュトロダエウスの声をしていた)脳にひびく。絶対にろくなはずし方ではないに違いないと彼はおもった。一心不乱に無意味な慰みをつづけていると、ハーデスにしごいてもらったときのことを思い出して、ぐぐっと玉袋がせりあがった。なんてことだ、達せられるわけがないと思っていた刺激で確実に頂きへのぼりつめようとしている。
 多少芯をもっただけのやわらかい幹を擦りたてる。思い込みによる幻象か、遠くに自慰の快感を覚える。出そうで出ないむずがゆさに太腿が勝手に擦りあわさって、激しさにからだが揺れる。熱のかたまりがこみあげて、息が詰まる。
「——……っ!」
 びくっ、びくっと身体が跳ねた。ふつうの自慰による絶頂にくらべて、長く尾をひくような快感がなんども駆け巡る。そして何よりも違うのは、熱がまったくおさまらないことだった。快楽の余韻と熱暴走のさめやらぬまま、下を確認すると、掌の中に満たされているのは透明な液体ばかりだった。特有の香りもにおってこない。確実に達した感覚はあったというのに。
 だが今はそんなこともどうでもよかった。あの快感をもう一度あじわいたい。
 彼はうずくまったまま、ふたたび己を慰みはじめた。
「……まだやるのか?」
 ふいに声をかけられて、彼は驚きにひときわ大きく身体をはねさせた。
「それとも、誘っているのか」
 寝返りをうったハーデスの、熱い吐息が首筋にかかる。
 自慰の快感に夢中になっていて、かれにばれてしまうことも忘れていたなんて、と、あまりの恥ずかしさに何も言えなくなった彼を抱きしめるように、手が前にまわされる。だめだ、と口にする前に、どろどろに濡れた性器に指がからみついた。
「……あいつの仕業だな」
 ハーデスの、甘さを含んでいた声のトーンが下がる。
 触れた瞬間に魔法的な違和感を看破したらしい。さすがはハーデスだ、と感心している場合ではない。彼は頭を抱えたくなった。それに口ぶりからすると、それがヒュトロダエウスの仕業であることさえ、お見通しであるらしい。ものがものだけにまた誤解をまねいたりはしないだろうかと不安になる。
「ハ、ハーデス……あっ……」
 だがそれについては特に追及されるようなこともなく、からみついた指が先走りをぬりつけるように性器をなでた。ハーデスの手は魔法障壁を透過して、敏感になっている性器に直接触れている。
 悪趣味な魔法だ、とつぶやく声が聞こえた。そのまま揉みしだかれて、たまらずハーデスの手をおさえようとすると、それは障壁に阻まれてしまった。どうもハーデスのエーテルだけを感知して通す仕組みらしい。理不尽だ、と彼は思った。
「どうした」
 にやにやと笑う気配がする。本当にぼくの恋人というやつは、と彼は真っ赤な頬を隠すようにシーツに顔をうずめた。耳まで染まっていることや、エーテルを視れば、どれほどの快感を得ているのかまるわかりであることには気が付かなかった。
 触れることはできても、勃起を抑制されていることには違いない。硬度がじゅうぶんでない性器は、うまく擦ることができないため、ハーデスの手の中でもみくちゃにされている。
「あっ、あっ……それ、っ、ん……っ」
 うつぶせになって逃れようとすると、ハーデスのからだが覆いかぶさってきて、尾骨のあたりに昂ぶりを押し付けられたのを感じた。そのまま前にまわされた腕でぐいと腰をひねらされて、腹の下に隠してしまおうとした性器があえなく空気にさらされる。
 彼ほどではなかったが、ハーデスは意外と力がつよかった。彼ほどではない、という事実や、肌を見せ合うときに自分のほうが貧相であることが許しがたいのか、相応に鍛えているらしい。ほとんど振り解くようにしなければ、逃れられない力で拘束されている。だがそんな乱暴なことはできるわけがない。
「も、う……、外してくれ……っ」
「そのためにしてやっているのだがな」
「は……」
「このイデアは“射精”で解ける仕組みになっている。まったく趣味の悪い……」
 そう言うハーデスの口ぶりは、あきらかに愉しんでいた。
「んっ……んっ、待っ……ハー、デス……っ」
「いつもよりずいぶん敏感じゃないか」
 彼は声をおさえきれずに手で口元をふさいだ。射精をしていないせいか、達したばかりのくすぐったい感覚というよりは、達しかけているときの、のぼりつめるような快感が延々と続く。端的に言えば気持ちが良すぎて、どうにもならない状態だった。
 だがこのままされていても、また出せないまま絶頂に至るばかりで、魔法は解けそうもない。そう言いたくても、口を開けば情けない声が出てきて、まったく喋るどころではなかった。
 荒めの手つきで性器をもみしだいていた手が、雁首のくびれをつかむ。
「ぁッ……!」
「ここが好きだったな。ん?」
 実に生き生きとした声音だった。
 亀頭につながる段差を、手首をひねるようにして擦られる。血流の抑制された性器が、それでもなおひくんと跳ね、蜜をあらたに垂らした。ぬちぬちと卑猥な音がひびく。腰のあたりに当てられた熱情が、ときどき我慢できないように強く押しつけられて、すべてがハーデスの手によってもたらされていることだと意識する。
 手で覆った口からうわずった声が漏れだし、絶頂が近いことが傍目にもわかりやすくなったとき、だらだらと蜜をあふれさせる尿道口を、ハーデスの指腹がぬるりと円を描いた。
「んぁ……っ、そ……そこ、だめだ、ぁ、ぁっ」
「……イけ」
 うながすように鈴口を何度もなでられて、首がのけぞる。ハーデスの手が彼の頭を振りむかせた。
「ッ——ん……っん、……んっ! んぅっ!」
 彼は黄金色の瞳に見つめられながら、痙攣した。精が通じてない頃のそれに似た、後を引く快楽が脈打つようにおそいくる。発散できない欲望が玉袋のなかでぐるぐるとうずまくような感覚があった。体のなかで暴れまわる欲をやり過ごそうとして、爪先でシーツをかきながら悶絶する。下腹部がじんわりと熱い。生理的な涙が目尻をぬらす。
 ごくっ、と唾をのみこむ音が聞こえた。
 うっすらと目をあけると、獣のようにぎらついたまなざしが、彼を見下ろしていた。
「は……ん……ハーデス、まさか……出せないこと、知って……」
「さあ……なんのことだか」
 露骨なはぐらかしに、彼は絶対にそうだと確信した。射精できないままよがる姿を見たがったに違いない。趣味が悪いのはいったいどちらかと問い詰めてやりたかったが、性器からはなれた手があらぬところをなでて、息が詰まった。
「……そんな顔をするな。次は出させてやる」
 蜜をまとった指が、固く閉ざされた窄まりをとんとんと叩いた。
「ぁ、……な、んで……そこ……っ」
「……出したいんだろう?」
「それ、は…………」
 出したいに決まっている。でもどうしてそこに触れる必要があるのかわからなかった。
 肉体的な交わりに、そこを使うこともある、という知識はある。だがハーデスもそういうことに興味はないだろうと思っていた。だから、一応、念のため、ハーデスと情を交わしたときに、そうなっても困らないよう、知識として取り入れはしたものの、結局役に立つことはないまま過ごしてきた。
 ハーデスは、そわそわと視線を揺らす彼を見下ろして、何を考えているのか察したらしい。少しばつの悪そうに「安心しろ」と声をかける。
「中から精嚢を刺激するだけだ。体表面は魔力を遮断されるが、体内からであれば問題ない。文句はヒュトロダエウスのやつに言え」
 あくまでも魔法を解くためであって他意はない。というハーデスの主張に、今度は彼のほうが恥ずかしくなる番だった。いったいなにを“期待”していたのだろうか、と。
「ぅ……君ほどの魔道士なら、解呪条件を満たさなくても、構成ごと解いたりできないのかい」
「……できなくもないが、時間がかかるぞ。よほど無茶な条件じゃないかぎり、原則に従って解呪するのが基本だ。優秀な魔道士ほどそうすると思うが」
 ハーデスは暗に「お前はそうではないようだがな」といった呆れた視線を投げかけた。思い当たるふしのある彼は視線をそらさざるを得なかった。解呪条件を満たすのが面倒で、無理やり解こうとした結果、余計にひどいことになった記憶がよみがえる。
「わか、った……君に、まかせるよ」
 彼は観念して身をゆだねた。指を挿れやすいよう、横向きに膝をかかえる体勢になると、ハーデスの掌が、からだの強張りをほぐすように、腰のあたりをさすってあたためてくれた。その手はしだいに、尻のあわいのほうへ寄って、割れ目に蜜をぬりこんでいった。
「ん……っ」
 皺をなぞるように爪の先で掻かれて、くすぐったさに身をよじる。
「力を抜け」
 ハーデスの吐息が耳元に落ちてきて、ぞわっと首のうぶげが逆立った。触れられているだけでも緊張するというのに無茶を言う。しかし指先が皺をかきわけ、体内にもぐりこんできたとき、彼は息を吐かずにはいられなくなった。
 ハーデスの節ばった指がゆっくりと押し進んでくる。痛みはなかった。事務的な手つきだったが、耳の後ろに押し付けられた唇はやさしかった。
「……ん……ぅ……」
「苦しいか」
「大丈夫、……ぁっ」
 腹側をさぐられたとき、何かがうずくような感覚がして声がもれる。それを苦悶からのうめき声だと思ったのか、ハーデスの指の動きがぴたりと止まった。
 どちらのものとも知れない荒い息がはあはあとひびく。
 彼は寝返りをうった。熱をはらんだ黄金の瞳と目が合った。
「ハー……デス」
 吸い寄せられるように唇を重ね合う。鼻先をかすめながら、何度も角度を変えて柔い粘膜を食んでいるうち、舌が伸びてむさぼるような口づけと変わった。からだの至るところを絡めた。ハーデスの腰に片足をまきつけると、後孔に挿さった指がよりふかく埋め込まれて、鼻にかかった、媚びたような声が出る。ただ目的を果たそうとしていたはずの指が、いつのまにやら中のひだを味わうように抜き差しされていた。
 そしてある一点に狙いを定めるように、指先がぐっと折れ曲がった。
「っあ、あぁあ……!」
 魔力を流された反射で、びくん! と身体が跳ねてしまうのを、ハーデスが押さえつけた。
 とろりと精液がもれだしたが、射精特有の快楽はなく、まるで無機質にしぼりだされているかのようだった。
「いやだ」彼は口づけをふりほどくように、かぶりを振った。こんなのはあんまりだ。浅ましいと思いながらも彼はたえられなかった。解放感もなにもない、ただむなしさだけが残るなんて。
 だが“射精”の条件は満たされたようで、拘束具はエーテルに還り、勃起を抑制されていた性器にぐんぐんと血が集まりだしていた。後孔から指が抜けて、雄としての機能を取り戻しつつある性器を、ハーデスのざらついた掌がなだめるように撫でてから、しっかりと握りしめた。
「ぁ……ぁあ……は、ぁぁ……っ」
 びゅくっ、と種があふれた。搾精するように根元から雁首にかけて荒い手つきでしごきあげられて、彼は涎が垂れるほど感じ入った。
 最後の一滴を出し終えても性器はびくついていて、かたく膨らんだままだった。ぬめりをまとった指が、射精直後の過敏になった亀頭に刺激をあたえすぎないよう、裏筋付近をくすぐる。そして彼の呼吸が落ち着いたころに、またゆっくりと上下に動きだして、吐精の準備をととのえた幹を搾りはじめた。
「ぁ……も、う、じゅうぶんだ……」
「いいから大人しくしていろ」
 身をよじろうとすると、あらたな拘束具さながら性器をにぎる手に力をこめられてしまう。熱い視線にさらされているのを感じる。こんなふうに一方的に責められるのは初めてで、いたたまれない。
 彼はハーデスの股座に手を伸ばした。快楽に潤みをはった、けれど同じくらい燃えさかった瞳が、黄金と熱を共有した。ローブ越しにふくらみを握ると、しかめ面の眉根がぴくりと動いた。どくどくとした脈打ちが手につたわり、火傷しそうなほどに熱かった。
「大人しくしろと言っただろう」
 唇に甘い吐息がかかる。
「あ……っ、あ……っ」
 ぬちぬちと音が立つほどはげしく責め立てられて、彼の反抗はままならなくなった。
 ハーデスの手つきは荒っぽく、またかれがハーデスのものを愛撫するときも、強めの握りを好んだので、必然的にかれが処理をするときもそうやってするのだろうかと想像した。すると二度目だというのに、早くも射精感が高まってきて、取り繕うように意識していても、眉がさがったり息が不規則になるのをおさえることはできなかった。
 だがそうでなくとも、彼が気をやりそうになっていることは隠せなかっただろう。
 ハーデスの熱にうかされた瞳は、彼を通り越して、どこか遠くを見つめていた。そんなまなざしをしているとき、かれはエーテルの深層、たましいのゆらめきを“視て”いるのだ。
「っ、はー、です……んあ……っ!」
 二度目の吐精は、一度目に逃した快楽を取り戻すようにはげしいものだった。量こそは少なかったが、勢いよく噴き出した種は、ふたりの胸元まで飛んだ。出なくなってもなお吐き出そうとするように、鈴口がぱくぱくと開閉しては、射精の瞬間と同等の衝撃が身をつらぬいた。
 こわれてしまうと彼は思った。あるいはもうこわれてしまったかだ。性器を拘束されていたときの、終わりのない快感に酷似していたからだ。腹の奥にわだかまりが残って、いつまでもうずくようなあの。
 ハーデスの掌のなかにあるそれは、だんだんと小さくしぼんで、隠れてしまうほどになったが、いつもならそのまま熱情に侵されていた脳がすうっと冷えていくのに、物足りなさを覚えていた。
 けれど、ハーデスのほうがよほど、もどかしさに焦がれているはずだ。
「ハーデス……君も……っ」
 ふくらみの全体をなでると、先端のほうがしっとりと濡れていた。ローブの裾をたくしあげようとして、彼の視界がぐるんと天井を向いた。
 いつもの三倍ほど眉間のしわを濃くしたハーデスが、汗ばんで目元にかかった前髪を鬱陶しそうにしながら、彼を見下ろす。
 端的に言ってそのまなざしは「抱かせろ」と訴えていた。
「いいか」
 聞いたこともないような低いトーンで、ハーデスは言った。おそらくその声には、微量の魔力が含まれていたに違いない。彼はほとんど反射的にうなずいてしまってからそう思った。
「ぁ…………」
 胸ぐらをつかまれ、漆黒の重みが覆いかぶさり、首筋を噛みつくようなキスがおそった。脚の間に体躯がはさまり、股を閉ざせなくなる。重なり合ったからだの間から、淡いひかりがたちのぼり、白濁とともに黒衣がとけるように消え、呼吸に上下する胸肌が吸いついた。
 期待が現実となりつつあることに、咥えこむことを覚えた後孔がひくついた。
「ま……待ってくれ」
 この期におよんで止められると思うのか、と言わんばかりの目が彼を見下ろした。
「その……本当に、君は、僕を……」
「それ以外になにがある」
「君はこういうことに興味がないと思っていたんだ」
 話しながらも、ハーデスの指先は肌をなぞりおりて、内腿のうすい皮膚をひずませた。
「お前はいったい私をなんだと思っている」
「い……今まで一度もしなかったじゃないか」
「厭なのか」
 たずねるふりをしているが、手指は鼠蹊部を押して彼の脚をひろげようとしていた。
「いやじゃ……ない……」
「だったらいいだろう」
「理由を聞かせてくれたって……」
 僕はずっと——彼は言葉をのみこんで顔をそらした。求められないことが寂しかった。ハーデスはそれを知っていて情けをかけてくれているのではないか?
「……私も、お前も、男だろう」
 ハーデスはどうにも歯切れのわるい答え方をした。
「それは……だから、こういうことをする必要はなかった、と言いたいのかい」
 彼が消沈した声を出して、ハーデスは話を中断できないことを悟ると、深いため息をつき、事を進めようとしていた手の動きを止めた。
「違う。それに男女の間柄であろうと、するかどうかは人によるだろう」
「だったら、どうして」
 二度目のため息が落ちる。彼はハーデスのため息の調子から、鈍感なやつめと言われているような気がした。
「要するに、抱くか、抱かれるかの問題だ」
「そんなこと……話し合って決めればいいじゃないか」
「……抱かれることに不満があるのか? だから待てと?」
「い、いや。むしろ僕は」
 彼は突然はずかしくなった。これではハーデスに抱かれたくてしかたがなかった、と言っているようなものではないか。まったくの間違いというわけでもないが、言われてみればたしかに、彼にはハーデスを“抱く”という選択肢もあった。
 ひょっとして今までそういうことにならなかったのは。
「もしかして君は、僕に抱かれたくて」
「なぜそうなる」
 彼が言いきらないうちにハーデスは言葉をさえぎった。
「だって僕は鈍感だと……」
「そういうところが、だ。まったく……」
 呆れたような声音とは裏腹のやさしさが、彼のくちびるに触れた。彼が自分の鈍感さを自覚するように、ハーデスは自分の不器用さを自覚していた。
「ん……それなら、はっきり言っておくれよ。君だってはぐらかしてばかりじゃないか」
 そう指摘されるとハーデスはぐうの音も出なかった。事実その通りで、ハーデスは彼と同様に、自分の浅ましさを恥じていて、曖昧にしたまま先へ進もうとしたのだったから。
「君の本意を知らずに、流されてしまうのはいやだよ。はじめてなんだ、キスをするのも、快楽を共有するのも、君が……」
 彼の両手がハーデスの頬をつつんで、愛おしげになでる。
 そうすると長いまつげがとうとう観念したように伏せられ、唇がそれは重そうに、ゆっくりと開いた。
「……お前を、抱きたいと思っていたからこそだ」
 ハーデスは言葉を切って、すうと息を吸い、はあと吐き出した。
「どちらかが女の役割をすることになる。絶対に厭というわけじゃないが、できれば男としてお前を——愛したい」
「……ぁ……その……そんなことまで、君は考えてくれていたのか」
「当然だろう。受け入れる側ともなれば、少なからず肉体的な負担もある。……それを強いるくらいなら、このままでいいと思っていたが……」
 彼は愛しさでいっぱいになって、ハーデスの頭をぎゅっと抱きしめ、首元に埋めさせた。もっと察しがよければ、言いにくいことをわざわざ口にさせる必要もなかっただろうにと思った。
「僕は、体をつなげることばかり考えて、あまり役割については深く考えていなかったよ……だからきっと、どちらでもいいんだ。君に合わせるよ、ハーデス」
 彼はハーデスを腕の締めつけから解放した。
 ゆっくりと上体を起こしたハーデスの、少し乱れた前髪の奥から、欲を秘められなくなった黄金がのぞいた。
「ぁ……っ、そんな、ところ」
 ハーデスの頭が下がって、胸元を濡れた感触が這った。尖った舌先に乳頭をくすぐられて、ぴんと硬くなるのが自分でもわかった。そして自分で触れても特になにも感じたりしないそこが、ハーデスの舌に舐られると、おどろくほど敏感になった。
 抱いたり抱かれたりするのに、男だとか女だとか、役割のことだとか、彼にとっては今まで考えもしなかったことだが、あらためて告げられると、これからハーデスにどのようにされるかを意識してしまう。抱かれるのではなく、女にされてしまうのだ。なぜなら、ハーデスは、抱かれるという行為をそのように捉えていて、そういう風に彼を扱おうとしているのだから。
 それでも、忌避感はなかった。むしろこれからの時間が、より鮮明に想像されて胸が高鳴った。
「ん……っ、う……っ」
 彼が胸に意識をむけているうちに、ハーデスの指が股ぐらの窄まりをさぐりあてた。柔んだ肉は指の一本程度なら、簡単にのみこむことができた。ひだをかきわけられる圧迫感に息を詰めると、気をそらすように乳首を吸われて、たまらず身もだえる。
「善いのか? ん?」
「ぁ……ぁ……っ」
 ハーデスは彼がそこで感じると知るやいなや、口角をつりあげ、執拗に突起を責め立てた。吸いながら舌先で弾いたり、歯を甘くあてたり、唇がはなれたときには、さんざん弄ばれた尖りは、片側にくらべて心なしかぷっくりと腫れていた。冷ややかな空気になでられるだけでも震えてしまうほど、敏感にもなっていた。
 どこか満足げな表情をしたハーデスは、なお色づいた粒を唇で掬うように食んだ。
「ん……そこばかり……っ」
「なんだ、こちらも可愛がってほしいならそう言え」
「そうじゃな……っんぁ」
 放置されていた方の乳首も、入念に舐られる。
 愛撫を施されているうちに、じんわりと腹の奥をあたたかいものが広がった。ハーデスの指から創造された液体が、腸内を満たしていることに気がついたのは、括約筋の隙間から、とろとろと漏れ出しはじめたときだった。
「は……ぁ、ん……っ」
「苦しいか」
「いや……なにか、変な感じが……」
 さきほど魔力を流された精嚢のあたりに、射精だけでは鎮まらなかった、くすぶりがたまっている。
「ここか」
「ぁ……ぁぁ……っそこ……ぁっ」
 指の腹でひだをこねるように動かされて、ぬちゅぬちゅと泡のつぶれる音がなった。熱の核をじわじわと解されるような、むずがゆいような、……気持ちがいいような、得体の知れない感覚だった。それは射精できないままのぼりつめる感覚にも似ていた。
「もう“ここ”の味を覚えたのか」
「は、ん……まさか、前立腺、なのかい」
「ほう、知識はあるのか。そんなに私に抱かれたかったか?」
「う……別に、抱かれるためってわけじゃ、んあァッ!」
 びりっ、と雷属性のものに触れたかのようなしびれが身体をつきぬけて、彼は目を白黒とさせた。生理現象が目尻をながれると、ハーデスの唇が涙を吸いとった。
 口ごたえの罰にしては強烈だった。彼は同じ男に組み敷かれる悔しさを覚えたが、同時に悦楽も感じていた。戦慄というものが近いのかもしれない。暴力的な恐怖にさらされることも、生命の危機に瀕することも、完全なヒトたる彼らには覚えのないことだったが、そのようなとき、ある種の快楽物質が生成されることは知っていた。この快感の本質は、おそれ、なのだ。
「ハーデス……」
 鼻の詰まった、情けない声が出た。
 慈悲を乞うように名を呼べば、自分があらがう術のない、か弱い存在にでもなったようで、ますます哀れな気持ちになった。
「……どうした。どうしてほしい」
 ハーデスは、そんなおびえたような彼を、いつも思い通りにならない男を、指先ひとつで支配している事実にひどく酔っていた。舌なめずりでもしてやりたい気分だった。だが獣になりきるのは、もう少し後だ。
「お前の好きなことをしてやると言っている」
「……っ、それは、」
 彼はこれ以上ないほどに顔を真っ赤にそめた。抱かれたいと、雌にされたいと、胸にいだいたばかりの欲望を見透かされたのか。
「言えないのか?」
 答えを急かすように、ハーデスの指先をしびれる程度の魔力を纏った。
「あっ、あっ、あぁっ!」
 彼の身がベッドをきしませるほど大きく跳ねた。肌の表面に流すぶんには大したことのない刺激だが、前立腺に直接ながされて、たえられるわけがない。あばれる身体はのしかかる体重によっておさえこまれ、意地悪げな笑みが答えるまで許さないと彼に教えた。
「言う、からっぁ、あっ、やめっ、んぁ——!」
 ビクッ……とひときわ激しい痙攣を起こして、彼は声もなく身をのけぞらせた。頭が真っ白になり、舌を突き出して、両手はシーツを力いっぱい握りしめた。
 絶頂の衝撃に狂いもだえる彼が落ち着くまで、ハーデスは今の所業に似つかわしくない仕草で、やわらかく口付けて彼をなぐさめた。
「……ぁ……はぁ、はぁ、ぁ、……して、ほし、い……」
「何をしてほしいんだ? ん? 言ってみろ」
「せ、…………せっ、くす……、してほしい……」
 一度欲望を吐き出すと、もう止まらなかった。
「君のに、つ、突かれたい……好きに……されたい……前からも、後ろからも、抱かれたい……な、中にも、出して、ほしい……」
 ぼやけた視界では、ハーデスにどういう表情で見られているのかわからなかった。しかしなにか部屋の闇が深まる気配がして、影がまとわりつくような重みに襲われた。
「ん、ぅぅ……っ!」
 創造魔法の質量が、体内でふくらんでいく。括約筋がひきつる直前に膨張は止まって、それがハーデスを受け入れるための準備であることを理解した。フー、フー、といった荒い鼻息や、太腿にぬるりと擦り付けられた熱棒が、興奮しきったかれの熱情を伝えてきた。
「はぁ、あ……ハーデスぅ……」
 シーツがぎしりと沈み、陰りに覆われる。
 うるんだ目を何度かしばたいてから見上げると、息も絶え絶えに四肢をなげだした彼の身をまたいで、ハーデスがいきりたった逸物をしごいていた。とろりと先走りが糸をひいて口元に落ちてくる。それを追うようにハーデスの腰がおりてきて、かれの目が「舐めろ」と告げた。
「んっ…………ふっ……」
 むわっとした熱気が鼻についた。差し出された亀頭の先に舌をのばして、垂れそうになった滴をなめとる。塩気が舌の上にひろがり、淫猥な味に脳がけぶる。
 彼は夢中になって鈴口に吸いついた。重い首をもたげ、亀頭そのものを咥えようとすると、“お預け”するようにハーデスが腰を引く。彼は懇願のまなざしで上目にみあげた。表情はよく見えなかったが、ふ、と笑ったような吐息だけは聞き取った。
 ハーデスの両脚が、彼の頭をはさむように膝をついた。視界いっぱいに陰茎と陰嚢が映り、雄のにおいと、存在感にくらくらとしていると、後頭部を鷲づかみにされて、ぐっと引き寄せられる。
「は……んむっ」
 ちょうど陰茎のつけ根に鼻が当たる。ひきしまった玉袋にキスをすると、かれの種を自ら受け入れる意思の証明をしたようで、服従心がくすぐられた。
 舌をちろりと出して、根本から丹念に、味わっていないところがないように這わせていく。そのさなかに鼻先でごわついた繁りをかきわけ、ひっそりと息を吸う。ハーデスの体臭が鼻腔をとおって、自身の萎んだ性器がぴくと反応した。
 ハーデスのモノをまじまじと見るのは、これがはじめてだった。握った感じから自分のものよりも大きいとは思っていたが、これ以上ないほど充血してぱんぱんになった幹は、さらに太くかたく感じられた。浮き出た血管を舌腹でなぞりながら、こんなもの、入るのだろうかという不安がよぎる。創造物を咥えさせられたままの括約筋がきゅっと締まった。
「ぁ……っ、お……」
 なかのものがぐんと大きくなる。裏筋に口付けたまま堪えていると、後頭部をつかむハーデスの指に、頭皮をもむようになでられる。
「拡がるまで我慢しろ」
「はっ、はっ、……ん……」
 我慢しろというのは、太さに慣れろということか、それとも早く挿れてほしいのを見透かされて、じらされているのだろうか。そのどちらでもあるのかもしれない。
 ハーデスの手が肉幹をしごきながら、ぬるついた先端を彼の下唇にあてがって、びたびたと叩いた。口を開けろ、ということだろうか。
「んぐっ」舌をたらしたまま口腔をさらすと、思いのほか性急にねじりこまれて、彼はあやうく吐き出しかけた。
 ハーデスの腰はゆるやかに前後した。慣れないながら舌をからめ、余分な空気ごと吸い、咥内のものを締め付ける。
 じゅぽっ、とはからずも淫猥な音がひびいて、彼は恥じらって動きを止めた。自分が何をしているかあらためて意識したのだ。ハーデスのものを舐めしゃぶり、奉仕しているのだ。とたんに口の中で脈うつ肉塊が生々しく感じられ、浅ましく味わうことに躊躇する。
「ンッ! ぐぅ……っ」
 奉仕を催促するように喉奥をひと突きされて、嘔吐反射がこみあげる。どうにか堪えようと嚥下する喉のうごめきに快感を得たのか、繁りの奥でハーデスの下腹部がひくっと痙攣した。
 彼はあふれる唾液をだらだらと顎から滴らせながら、じゅぽ、じゅぽ、と音を立ててしゃぶりついた。味わいたくなかったわけではない、むしろ、ヒトとしての矜持など忘れ、獣のように快楽におぼれてしまいたかった。いつも理性的で、模範的な市民だったハーデスの目の前で、そんな姿をさらしていることにさえ——今は興奮してしまう。 
「ふ……ぅンっ、ん、くっ……」
「……っ、はぁ……」
 亀頭がぱんぱんにふくらみ硬くなっている。もう限界が近いのだ。後頭部をつかむ指にも力がこもり、ハーデスの膝がわずかに震えている。
 彼は吐精をうながすようにはげしく頭を振った。吸いつきながら舌をめちゃくちゃに動かした。どんなにみにくい顔をしているだろうか。欲望にまみれてぐちゃぐちゃに汚れているに違いない。
「もう、いい」
 ハーデスの腰が引け、夢中になって吸い付いていた逸物が口から抜ける。
 彼はすがりついて舌を伸ばそうとしたが、首根っこをつかまれて引き剥がされた。
「……っ、ハーデス……」
 脚をぐっと持ち上げられ、創造物を咥えこんだ窄まりを情けなくさらす姿勢になる。
 ハーデスはしばらくそこを観察するように、じっと見つめたあと、中をひろげていた棒状のものをエーテルに還した。空洞になった内部に冷たい空気に触れて、ゆるみきった皺がきゅっと寄った。
 ハーデスの目にはまるで雄を誘うように見えたことだろう。凝視するまなざしを感じながら彼は思った。
「……挿れるぞ」
 唾液と先走りによってぬらついた切っ先が、キスするように窄まりへ触れた。ああついに抱かれてしまう。ぞくっとするような期待に震えがはしったのを、不安によるものだと思ったのだろうか、ハーデスが腰をすすめないまま身体をおりかさねてきて、壊れものを扱うように彼を抱きしめた。いつでもいい、と言うように彼は抱き返した。重なりあった心臓がばくばくと共鳴した。
「ぁー……っ、君の……っ」
 ぬるり、と思ったよりもなめらかに肉棒がはいりこんできて、彼はたまらずハーデスの背中に爪をたてた。だらしがなくない程度に整えているといっても、深くまで切り詰めているわけではない。はっとして肌をさすると耳元で「そのままにしていろ」とささやかれる。ため息まじりの声は艶っぽく、それだけでまた爪を立ててしまうのにじゅうぶんなほどだった。
 じっくりと、ゆっくりと、気遣うような挿入のおかげで、痛みはほとんどなかった。けれどもしかすると気遣われているのではなく、今にも暴発しそうになっているのを堪えている結果なのかもしれないとも思った。それほどに体内をかきわけてくる欲望は硬く、心臓がそちらに移動したかのように激しく脈打っていた。
 べたついた太腿同士がはりついて深く息が吐き出される。根元まで肉襞にもぐりこんだ逸物が、びくっと跳ねるのを感じて、思わずしがみつくと、ハーデスが息を詰めた。
「あまり……締めるな」
「無茶をいわないでくれ……」
 不可抗力だ。生理現象だ。ハーデスとつながっている、抱かれているという事実だけで、どうにかなってしまいそうだというのに。
 そう考えて案の定、彼はまた腸内を収縮させてしまった。
「っ……おい」
「仕方がないじゃないかっ……ぁ、んっ」
 中をかるくひと突きされて言論封殺される。なんて卑怯なんだ。君がそのつもりなら、とハーデスの腰に足をからめて、かれの逸物を食んでやった。するとまたずんと突かれて、お返しに締めつけて、そうしているうちに彼らは紛うことなき“セックス”に興じていた。
「ァ、あっ、あっ」
 揺さぶられるほど律動がなめらかになる。きっとハーデスの先走りがとめどなくあふれているからだ。これ以上ないほどに固く抱き合って、小刻みに奥をせめたてられる。絶頂が近いのが背中のこわばりから伝わった。
「顔、みせてくれ、ハーデス……っ」
 少しだけ躊躇するような間をおいて、肩口に埋められていたハーデスの頭がもちあがった。色っぽく眉間の寄った額が近づき、なやましげな瞳にじぶんの姿が映ったとき、欲望をのぞき見るのと見られるのとは、同じであることを彼は知った。だが顔をそむけることはできなかった。釘づけにとらえられて、目が離せない。
 ハーデス、ハーデス、と名を呼ぶと、肌を打ち付ける音はいっそう激しくなり、彼自身さえ聞いたこともない、あえかな声とともにひびいた。
「……っ、出すぞ」
 これ以上ないほど固く抱き合い、濡れた肌が密着してひとつに溶けあった。震える唇をかさねあわせたとき、ハーデスの雄がひときわ大きく膨らんだ。
「ん……っ、んぅ……っ……」
 膨張しては収縮する。どくどくと種をそそがれる。燃えるような魔力の奔流がながれこんでくるのを感じる。
 ながい脈動がおさまってからも、かれらはしばらく抱き合ったまま動かなかった。愛を分けあうように唾液を交換し、互いのあらゆるやわらかな部分に触れることを赦し、どこまでも深くつながった。
 なんと満たされる瞬間なのだろう。彼は小気味良い疲労感に身をゆだねながら、ハーデスもまた同じ気持ちであることを感じていた。言葉にしなくとも、エーテルを視ずともわかる、愛情という甘い実感が、神経のすみずみにいたるまで浸透している。
 だが同時におそろしい。こんな交わり方を知ってしまったら、もう元には戻れないとさえ思う。はじめてだからそう思うのだろうか? エーテルによる精神同調にしろ、理性が本能を凌駕することはありえない。魔力の操作に集中しなければ、同調することはかなわないからだ。けれど肉体の交わりはどうだ、ヒトとしてあるべき姿など、理性などかなぐり捨て、淫靡なひと時にしずむ愉しみ。陶酔し、耽溺し、傾倒し、没頭する愉しみ。自分だけではなく相手さえも。あの理性の塊のようなハーデスさえも。それがすさまじいほどの欲望をかきたてる。何度だって味わいたい、朝も夜も忘れて、快楽に溺れてみたくなる。そうねだってみせたら、ハーデスはどのような顔をするのだろう。あるいは、かれに請われてしまったら……。
「ん……ぁ……っ」
 ゆっくりと腰を引かれ、それにともない逸物がずるりと抜け落ちた。まるで身体の一部が欠落してしまったような喪失感に見舞われる。すきまなく重なっていた口づけと肌まで離れると、凍えてしまいそうにさえなった。
「……うつぶせになれ」
「あ、ぇ……」
「後ろからもしたいんだろう?」
 ぎらついた金の瞳に見下ろされる。欲情の火はいまだ消えていなかった。見ればかれのモノは硬度を保ったままで、今も足りないと腹をすかしているように首をもたげていた。てらてらと濡れ光っているのが、星明かりしかない暗がりにもよくわかり、その淫猥さにめまいが起こる。
「早くしろ」らしくない性急さで、彼はハーデスに転がされた。なんだか出す前よりも余裕がないように思えて、戸惑いながら振り返ると、ちょうどまた逸物があてがわれるところで、腰を上げる間も、心の準備をする間もなく、ぬっぷと肉欲が侵入を果たしてくる。
「ぁー……あぁ……っ、はー、です……っ」
 後ろからの挿入は角度が異なっているせいか、圧迫感が先ほどよりも強かった。けれどよく解れた後孔はきわめて従順に雄をのみこんでいって、もはや抱かれるための器官に生まれ変わったかのようだ。
 ハア、と嘆息が首筋のうぶげをくすぐった。体重をかけられて微動だにできない。ハーデスの鼠蹊部が尻肉にぴたりと密着している。その弾力をも味わうようにぐりぐりと中をこねられて、彼は唯一自由な足をあばれさせた。
「そ、それ、それ、やめぁっ」
「……は。ここか?」
「あっ、あっ、あっ!」
 えぐられているのは奥ではない。尻臀にはばまれて半分ほどしか埋まっていない肉棒が、性器の裏側あたりにある前立腺を、ぐにぐにと的確にこねまわしてくるのだ。だが彼が悶えているのはその刺激によるものだけではなかった。ベッドと身体の間にはさまれた性器が擦れて、またゆるく勃ちかけている。
 彼は、もう出ない、ゆるしてくれ、と言葉にならない鳴き声をあげながら、かかとでハーデスの腿の裏を蹴った。するとじたばたと抵抗をする足を邪魔だと、ハーデスの脛が、彼のふくらはぎを抑えつける。
「っハァ……ハァ……」
「あっ、んっ、ぁ——っ!」
 うなじに噛みつかんばかりの勢いで口付けられる。燃え上がる魔力の気配で、背中が火傷しそうなほどに熱い。ハーデスの抑圧されていた欲望が決壊したのか、考える余裕もなく必死に腰をうかせれば、まるで雌の獣にでもなったような気分だった。だがそれも上から叩き伏せられる。甘勃ちしたまま、それ以上は充血しない性器が押しつぶされて、濡れたシーツの上でぬるぬるとのたうちまわった。
「アーっ、あっ、あっ! あっ!」
 彼はつまさきまでぴんと伸ばして、全身を硬直させた。
「————ぁ、っ、……ッ……!」
 とろ……、と絞り出されるようにして、精液がひと滴だけ垂れる。それからも身体ごとひくっ、ひくっと跳ねていたが、それ以上は何も出なかった。もうすっかり空なのだ。出なくなるまで出したのも初めてだった。
「いっだ、から、も、やめ……っ」
 ゆったりとした突きが止まらない。ぬちゅ、ぬちゅ、と中からかきだされた子種がねばつく音を立てている。
「好きにされたいと言ったのはお前だろう。ん?」
「ンッ、あ……っ」
「…………止めるか?」
 ずる、と腰を引かれかけて、彼は反射的に後孔を締めつけた。
「ぁ……ぃ、……ぁうっ!」
 いやだ、と言う前に、ぱんっと腰を打ち付けなおされる。
「止める気、なんか、ないじゃないか……」
「お互いにな」
「君はずるいよ……」
 涙ぐんだ目尻を、ハーデスの指がぬぐった。
 腰は寄せては返す波のように、ゆるやかに動きつづけているが、前立腺をねらって突きこねることはなくなって、ただぬるま湯につかるような気持ち良さがあった。まさしくむつみあう恋人さながら、頬や耳を唇でかすめられると、ますます“抱かれている”気分になる。
「やっぱり、ま……前から、したい」
「善くなかったか」
「……よ、よすぎる、から」
 中のものがぐぐっと膨らんだような気がして、彼は小さく声を漏らした。
 フー……とハーデスのため息が落ちる。熱を逃すようでもあり、呆れているようでもあった。
「そう言われて、言うとおりにするやつがいると思うか?」
「僕ならそうする……あっ……、だめ、だって……っ」
「なにが“だめ”だと? これか?」
「ひっ……触らないでくれ……っ」
 濡れそぼった鈴口をなぞられて、くすぐったさに身をよじる。
「……丁度いいイデアがあったな」
「は、……ハーデス? まさか」
 その、まさかだった。ハーデスの手に性器をにぎられたかと思うと、きゅっと締めつけられるような、身に覚えのある感触が生まれた。魔術による拘束具。たしかにこれなら過剰な刺激に悶えることはなくなるとはいえ!
 ちゃんと外してくれるのだろうか? 彼が疑問を口にする前に、これで文句はないだろう、というように、ハーデスは彼の臀部にまたがり、腰をつかんで上から打ち付けた。
「あっ、あっ、あっ!」
 断続的な嬌声、肌のぶつかる音、ベッドのきしみが淫らな三重奏をかなでる。
 二度目の交接は一度目よりもずっと長く続いた。喉がからからになって、かすれた声でハーデスと名を呼ぶと、激しかった律動が落ち着いて、ねっとりとした口づけを受けた。水分がほしくて舌を吸えば、唾液をそそがれて何度も嚥下した。
「はーです、ん……っ、はーです……そこ……っ」
「ここが善いのか?」
「奥……きもち、いい……」
 彼の脚は雄を受け入れるよう、ずりずりと開いていった。前立腺ばかりではなくいろいろなところで快楽を感じるようになっていた。奥をとんとんと小突かれるのもよかったし、ただ抜き差しされて括約筋を擦られるだけでもいい。
 ハーデスも射精欲を遠ざけながら、このゆったりとした甘い快感を愉しんでいるようだった。わざとらしく前立腺をかすめるように腰を動かして、肌が粟立つのをみたり、締めつけられたりすると、愉快そうに笑うのだ。
「ぁ……っ、ぁ……っ」
「ずいぶんよさそうだな」
「……君が、こんな、抱きかたをするなん、て」
「ほう? 想像していたのか?」
 意地悪げな問いかけをされて、彼は枕に顔を埋めた。
「……っ、もっと優しい、かと」
「じゅうぶん優しくしてやっているだろう」
「う、嘘だ。皆こんな……こんな激しいの、をしているわけが……」
 しているのだろうか?
 自信がなくなって語尾が掻き消える。僕があまりにも快楽に弱いだけなのかと考える。そうだとしたら呆れられてはいないだろうか。本当はもっと——壊れそうなやり方をするのなら、ハーデスは、気持ちよくなれていないのではないだろうか。好きにしてほしいだなんて言っておいて、制止してばかりじゃないか。
「き……君はいつも、こんな感じなのかい?」
 ハーデスの腰がぴたりと止まった。
「…………ハァ」
「な、なぜそこでため息なんだい。僕はただ、その、君がもし遠慮しているなら……」
「……そういうわけじゃない。それにお前は“激しい”のが好きだろう」
 彼はぎくりとした。ナカをまたきゅんと締めてしまい、図星であるとも答えてしまった。ハーデスが鼻をならして笑ったので、彼は「君ほどじゃない」と反抗したが、すぐに後悔した。
「アッ! あっ! あ——っ!」
 ぱんっ、ぱんっ、ぱんっ、と三度ほど強く打ち付けられただけで彼は陥落してしまった。神経がひきつって震える。甘く達していることは、身体をつなげているハーデスには隠しようもないことだった。
「それで、どうしてほしいんだったか」
「ぁ……っ、ぅ……っ、君の、好きに、されたい……」
「……後悔するなよ」
 それは自分自身に言い聞かせたのかもしれなかった。ハーデスの魔力が高まるのを感じ取って彼はそう思った。腰を持ち上げられて、交尾のようにまぐわいはじめると確信に変わった。
「はっ、あっ、はっ、あー……っ!」
 善いところを執拗に突かれて、シーツをめちゃくちゃに引っ掻く。
 暴力的なまでの快楽は抱かれているというよりも、むしろ“犯されている”という表現が正しいように思えた。もう一度身体をひっくり返されて向き合ったとき、その皮肉めいた笑みをみて、彼もまたうっすらと笑った。ハーデスの欲望を受け止めきれるのは、僕だけなのだと笑った。
「好き、あっ、はーです、すき、す、き……っん」
 壊れたように繰り返していると「ああ……」と返事のような、嘆息のような声をあげて、彼を抱きしめたハーデスのからだがびくついた。そしてかすかに「私もだ」とささやかれて、他のなによりも、今まさにたっぷりとそそがれている種にもまさる、とろけるような多幸感が脳髄に浸透した。
 彼の意識はそれきり飛びっぱなしになった。
 ハーデスとは空が白みはじめるまで交わり続けて、最後にはぎりぎり硬度を保っているような状態のものを、ねちねちと抜き差しされながらまどろんだ。
「はー……です……」
「ん……どうした」
 うつらうつらとしながら、ハーデスの胸にすり寄る。かれも眠いのか、返ってきたささやきは、かれの声ではないかのように甘やかだった。
「僕は……ずっとここにいることは……できないけれど……」
「それでいい。余計なことは考えるな」
 そんな風に頭をなでられたりなんかしたら、むしろ旅立ちがたくなってしまう、と彼は余計なことを考えた。
 ずっとハーデスの腕の中にいられたら幸せだ。そばにいるだけ離れがたくなるけれど、それでも居続けることはできない。
 ハーデスは、自由に生きる僕を愛しているのだから。
 ほんの少しでも、外に出たいという渇望を抱いているかぎり、決して閉じ込めたりはしてくれないのだ。自然で生きるのがふさわしいとでも言うように、放たれてしまうのだ。
「……また、私のところに帰ってこい」
「もう忘れたりしないよ……」
「覚えたか?」
「ぁ……ぅ、ん……」
 こんなに刻みつけられて、永遠に離れていられるわけがない。
「ぁ……ぁ……っ、はーです……」
 目覚めた時には、もうハーデスはいなかった。
 ハーデスが帰ってくる頃には、彼もいなかった。
 
「彼はまた旅立ってしまったのかい」
 職務を終えた帰り路。窓装飾に反射する夕映えのまばゆさから、黒衣を深くかぶったハーデスをのぞきこむように、ヒュトロダエウスがひょっこりと姿をあらわした。
「……ああ」ハーデスは若干のけぞりながら言葉を返した。
「それにしては機嫌がいいね。昨夜はずいぶんとお楽しみだったみたいだからかな」
 普段であれば無視をされるところなのにとヒュトロダエウスが揶揄しても、ハーデスは睨みつけるどころか口端をつりあげる始末だった。
「ははあ。なるほどね」
「……お前のイデアだというのが惜しいがな」
「そこは感謝してほしいところだけれど。まあ、キミたちの仲が良好であることが、ワタシにとってのよろこびでもあるからね」
 ヒュトロダエウスは、にやにや、といった笑みを浮かべて言った。なにか怖気のようなものが走ったのは、おそらくエーテルを深いところまで視られたせいだろう。まさか情事を覗き視たりはしていないだろうが、“余韻”は残っている。
「……視るな」
「え? フフ、じゃあ彼のほうを視ようかな」
「…………視るな」
「冗談だよ」
 怖い怖い、とヒュトロダエウスはまったくそうは思っていないような口調で肩をすくめた。

「——ああ! 外してないじゃないか!」
 彼が旅先で悲鳴をあげた姿は、誰にもみられることはなかった。


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