創造性概念閉鎖空間

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 三人はほとんどぎゅうぎゅう詰めだった。もっとも長身のヒュトロダエウスが、かろうじて立ち上れる程度の高さはあったが、室内のスペースは明らかにひとり用だ。そして、彼らが座り込んだ中心には、いわくありげな液体の入った小瓶がひとつ置かれていた。内容物については皆もうとっくに理解している。
「……これは、ワタシが飲むしかないようだね」
 ヒュトロダエウスがひょいと小瓶を手に取った。内容物を確認するように目の前に透かす。仮面の奥のまなざしが、僅かに細められたことには、他のふたりとも気がつかなかった。
「そうとは限らんだろう……お前は巻き込まれただけだ。こいつの犯した責任は私が取る」
「僕が」
 先を越されたとばかりに、男が名乗りをあげるも、言い切る前に「それだけはない」とふたりが同時に否定をかぶせた。どう考えてもこの条件に向いていない彼は放っておいて、ヒュトロダエウスはハーデスに顔を向けた。
「たしかにキミひとりだったら耐えられたかもしれないね。けれど彼がいるんだよ。目の前にご馳走を用意されて、獣が我慢できると思うかい?」
「……誰が獣だ」
「べつにキミを獣だって言ってるわけじゃなくて、これを飲んだら誰でも獣になるってことさ」
 ヒュトロダエウスがその目で“視た”のなら確かなのだろう。ハーデスは逡巡したが、これに勝る最善策はないと結論に達し、「……頼む」と一言だけつぶやいた。完全に戦力外通告された男も頭を下げる。いったいどのくらい効果があるのかはわからないが、耐えられる自信は正直あまりなかった。今まで暴走イデアをさんざん創り出してきたが、今度ばかりは心の底から反省していた。
「かまわないよ。キミたちのためだ」
 ヒュトロダエウスはしおらしくなった彼らに微笑みかけた。そして小瓶の栓を抜き、気軽な所作で飲みほした。「甘くて美味しいね」と味の感想を伝える余裕さえ見せる。心配そうに見つめる男の前で、彼の様子はなにも変わったところのないように思えた。
 だが実際には、媚薬が胃に流れ込んだときから、身体はカッと熱くなり、じわりと汗がにじんでいた。むずむずとした衝動が下半身の中心をむしばみ、ローブのなかでゆるく首をもたげる。まだ耐えられないほどではない。
「……あまりまじまじと見つめないでほしいな。効果が効果なのだから。キミだってそんな自分を観察されたら恥ずかしいだろう?」
 ヒュトロダエウスはいつもの調子で冗談めかして言った。
「ごめん」
 男はさっと顔を背けた。ハーデスはヒュトロダエウスが飲みはじめたあたりから、すでに背を向けていた。静寂が流れる。もしも話していたほうが気が紛れるのであればそうしようと、ヒュトロダエウスが声をかけてきたときに備えて、話題をいろいろと考えるも、沈黙は破られることなく時が過ぎていく。
 異変が生じはじめたのは、一刻を過ぎた頃だろうか。静かな空間ではあらゆる音が響きやすくなる。ましてやこの狭い空間だ。ヒュトロダエウスの荒い吐息に気がつくなというほうが難しい。
「大丈夫かい……? ヒュトロ、」
 息を荒げる友の肩に、男が手を乗せようとして「やめろ」とハーデスに腕を掴まれる。ヒュトロダエウスは俯いていた面をあげて「大丈夫、心配には及ばないよ」と微笑んだ。フードに隠れて額からつうと汗が流れた。下着が苦しい。はりつめた性器を押さえ込まれる痛みにわずかに眉をひそめる。その苦痛が誘惑から引き戻してくれてもいたが、いつまでもつか。だんだんと思考に靄がかかってくるのをヒュトロダエウスは感じていた。
 ——六時間ほど経っただろうか。この空間は常に明るく昼夜がわからない。ましてや薬に侵された状態では、さしものヒュトロダエウスも時間感覚を失わざるを得なかった。ハーデスにたずねれば教えてくれただろうが、自分の予想とはるかに違っていたときのことを考えると、聞く気にはなれなかった。過ぎる時間を思えば思うほど、体感時間は長くなるものだ。ただ無心で耐え続けるしかない。二十四時間と指定されているのだから、それより前に薬の効果が切れることはないだろう。いや、むしろじわじわと増していくようだった。膝をかかえる爪が皮膚に突き立てられる。心臓がふたつになったかのように、ドクドクと性器の脈打ちがやまない。とめどなく流れる汗と、つぎつぎに溢れる先走りで、床に水たまりができるのではないかと思うほどだった。
「……もし」
 ささやくような声だった。静寂の中でも聞き逃しかねないほとの。ハーデスと男は俯いていた顔をあげた。男だけがふりむいたが、ヒュトロダエウスの常ならない表情を垣間みてすぐに背けた。穏やかな微笑はきえて、仮面越しの目が虚ろに、それでありながら、ぎらぎらとした欲を讃えていた。
「……もし、ワタシの、限界がきたら、……抑えてほしい」
 ハーデスはヒュトロダエウスの言葉にすぐに「ああ」と返したが、男はなにも言えなかった。あの捉えどころのない彼が、余裕をなくして耐えている。“限界”を自ら口にするほどに。
「っ……は」
 身じろぎする気配がした。淫靡な空気がただよっていた。ヒュトロダエウスは、いよいよ下着に手をやった。下向きに圧迫されて痛みを訴える性器に、指先が触れる。
「…………っ」
 覚悟していたぶん、声はおさえられた。だが電流のような快感がやわらぐわけではなかった。幸いなのはすぐに射精感がおとずれるような効果がないことだ。それでも気を抜けば、熱から解放されるまで無我夢中で慰めてしまいそうな“良さ”がある。ヒュトロダエウスは下着をずらす際の刺激を避けることにした。人差し指で、性器のまわりをなぞるように滑らせると、布地を構成するエーテルが分解されていく。
 べち、と音がして、ヒュトロダエウスは身震いした。圧迫から解放された反動で腹にそりあたったのだ。快感の波が去るまでどうにか歯をくいしばる。性器が幾度も痙攣した。ローブ越しではあるが、外気の冷ややかさに撫ぜられて、情欲を突きつけられる思いだった。意識しないようにつとめても、糸を引きながら涎をたらしている事実は消えはしない。
 これは……つらいな、と、ヒュトロダエウスは深く息を吐いた。飲んだのは正解だった。彼らでは耐えられまい。自分はどうだ、と思案する。ぼやけた視界で無意味に壁を見透かそうとする。あとどのくらい時間が残っているのか、わからない。
「っ……ふー、……ふー……」
 魔力が異様に活性化している。身体にこもった熱はどんどん膨れ上がり、過剰魔力が意識を朦朧とさせている。エーテルを消費したい。だが思うように操作できない。高まった熱が邪魔をしているのだ。
 だらりと垂れ下がっていた手が、ゆっくりと持ち上がる。ローブの裾から指先が侵入し、わずかな衣擦れの音もたてぬほど少しずつ、少しずつ、熱の中心に近づいていった。
 だめだ、と、火照った理性が、なんの助けにもならない警鐘を発した。
 ぬる、と指先がすべる。粘液の水たまりに触れたのだ。その上から絶え間なくしたたり落ちる雫が爪を濡らした。ひと筋、ふた筋。つぎがこぼれ落ちる前に、指先が浮いた。
「っ……っ……!」
 ほんの少しだけ、指の腹で陰嚢を撫でた。それだけで全身の肌が粟立った。
 もう少しだけ。もう少し。ぼうっとした頭が言い訳をしながら、ぱんぱんに張りつめて重くなった睾丸を、指先がぬるぬるとなぞり続ける。手の甲にしたたり落ちる蜜の量が増える。
 一度触れると、もう止まらなかった。縫線にそって陰茎の付け根へいたると、がちがちに硬直したそれが脈打っていた。硬さをたしかめるように根元を指の輪でにぎり、そのままゆっくりとのぼらせる。輪っかの隙間に粘液を保ちながら、裏筋にさしかかると、足の指が丸まって、背筋がぐんと伸びた。息を止めて、雁首をとおりぬける衝撃にそなえる——。
「…………ッン」
 ちゅるんと亀頭を滑りぬけた瞬間、喉の奥からくぐもった声が漏れるのを、全身がビクつくのを、ヒュトロダエウスは抑えきれなかった。はっとして同じ空間に友人がいることを思い出す。ハーデスは背を向けたままだが、明らかに今の声を気にしていた。もうひとりの友は、——目が合った。
「ヒュトロ」
 ハーデスが止める暇もなく、男がヒュトロダエウスに身をよせた。
 ローブの裾にもぐりこんでいる手をそっと握られたとき、「おい、」とハーデスがこちら側をみないように声をかけて制止しようとする。
 ヒュトロダエウスは握られた手をはらい、逆にその腕をつかんだ。そのまま自らの性器へ押しつける。驚いた顔が彼を見た。
「はあ……はあ、……」
 ヒュトロダエウスの表情と、間近で、真正面から対峙した男は、ごくっとつばを飲みこんだ。それは獣の目だった。彼の柔和な雰囲気はかき消えて、一匹の雄としての顔があらわになっていた。
「おい、もう限界なのか?」
 とうとうハーデスが振り返った。だが彼のほうからは、ヒュトロダエウスが心配そうに覗きこまれている様子にしか見えなかっただろう。
「まだ大丈夫」ハーデスの恋人はたしかにそう返したあと、もう一度小さく、大丈夫、と囁いた。つかむ力は痛いほどだった。気づかれずに振りほどくことは困難だが、そのつもりもなかった。押し付けられた手で、なだめるようにぬるついたものを撫でる。ヒュトロダエウスは息を詰めた。一瞬、手首の骨がきしむような力が入ったあと、緩んだ拘束から脱出する。
「ハーデス。無事に出られたら、三人でしよう」
 男は濡れた手をこっそりローブで拭いながら、そんな提案をした。
「……何を言っているんだ、お前は」
 ヒュトロダエウスは、熱に浮かされた頭でも、ハーデスの言葉を最もだと思った。
「こうなったのは僕の責任なのに、かわりにヒュトロダエウスがこんなにつらい思いをしている。せめてお返ししたいと思うのは当然だろう?」
「それがどうして三人でやる話になる」
「そりゃあ、二十四時間耐えたあとは、もう自由に出せるわけだし……手伝ってあげるんだよ。嫌かい?」
 ハーデスはこんな問いにも、真面目な弁論と同じように逡巡した。
「嫌とかいう以前に……あいつがむしろ、あー……気まずいんじゃないか。お前がもう二度と創造魔法を使わないと約束するほうが、余程いいと思うが」
 男は微妙な顔をした。この期に及んで、まだ懲りていないらしい。
「フフ……、フフフフッ……」
 突然わらいだしたヒュトロダエウスに、ふたりが驚いて顔を向ける。沈黙よりもこちらのほうが断然ありがたかった。ふたりのやり取りは面白くて仕方がない。恋人が他の男をそういう行為に誘っているのに、ハーデスは友人の気持ちを気遣うばかりだし、提案した彼は彼で色々とずれている。
「キミは、ワタシが手伝ってほしいと言ったら、なにをしてくれるんだい?」
 内容についてはこれっぽっちも考えていなかったのだろう、男の目が泳いだ。
「えっ……と」言い淀みながら続ける。「舐めるとか」ちらっとその目がハーデスの機嫌をうかがう。だが彼はもっとまじめな顔をしていた。当人が思うよりもはるかに、友人たちはヒュトロダエウスを思い遣っていた。
「たしかに、これほど強力なイデアだ。一度や二度出したところで済むとは思えん。効果のほどにもよるが、自慰では解消しにくい可能性はある」
 ほんの冗談のつもりだったのだが、思いのほかまじめに受け止められて、ヒュトロダエウスは逆に身を引きたくなった。
「キミたち、あのねえ……その前に、気にすることがあると思うんだけれどな……」
「お前なら構わん。こいつがいいというならな」
「僕も、ハーデスがいいなら」
 あまり性格は似てないが、妙なところで気の合うふたりだ。それがこんなところで発揮されるとは。ヒュトロダエウスはなんとも言いがたい気持ちになった。
「…………それは、楽しみだ」
 フ、といつもの微笑を取り戻す。
 しかしその眼はぎらついた獣欲にとりつかれたままで、射抜かれた男の背筋をぞくりとした怖気が駆けた。間違ったことはしていないはずなのに、なにか取り返しのつかないことを選択してしまったかのような。

 指定の時間まで、あと四半刻を過ぎた頃。
 ヒュトロダエウスにはもはや欲を隠す理性も残されてはいなかった。ぜえぜえと息を吐き、寄りかかった壁に後頭部をずりずり押し付ける。その両手首はエーテルロープで拘束され、引きちぎろうとする腕に何度も血管が走った。その視線は親友の伴侶から外れることがなかった。ハーデスもそれに気づいているだろうに、咎めることも後の行為を撤回することもない。ただかつてない友人の姿に、罪悪感を増しているだけだ。
「もう少しだ」
 ハーデスの手の中で、創造物が時を刻んでいた。かち、かち、と秒数を数える針の音が、荒い呼吸の音をこえて耳に届く。具体的な時間を告げなかったのは彼の優しさなのだろうが、どちらにせよヒュトロダエウスの正気を保つ手助けにはならなかった。
「ハーデス。キミも舐めてくれるの?」
 視線がそれた。親友に向けられた言葉は、気を紛らわす冗談の類か……それとも。
 理性の枷を失った頬笑は、普段とまったく異なる印象を与えた。ハーデスは気にしないふりをして「舐めてほしいのか」と逆に聞き返してやった。
「それはもう」とヒュトロダエウスは笑みを深めた。むしろ誰だっていいのだ。なんだっていいのだ。それでこの情欲の渦からぬけだすことができるのなら。
「僕よりハーデスがいいのかい」
 かわされる視線に割り込むように男が口をはさむ。言っていることが少しおかしいが、それを指摘して笑う余裕はもはやない。冗談めかしてはいたが、返ってきたまなざしに怯むような色をみせたのを、ヒュトロダエウスは見逃さなかった。ぎち、とエーテルロープがうめきを上げる。
「キミ次第……かな」
 これみよがしに腰を持ち上げる。心臓がもうひとつあるかのように脈打つそれは、ローブをはっきりと押し上げていた。もともと長大だった逸物は、これ以上ないほどに膨張しきっている。
 ほんの少し手で触れたときの、熱量と硬度とを思い出して、知らず男の喉仏が上下した。ヒュトロダエウスの欲にあてられて、空間そのものが妙な熱気につつまれていた。
 かち、かち、という音だけが変わらず響き続けた。
「時間だ」
 魔法の才能が希薄な者にとっては、ほとんど気づかないほどの違いだったが、ハーデスとヒュトロダエウスは、創造空間を取りかこむ魔法の気配が変わったことにすぐに気がついた。これでいつでも転移術を使えるし、多少の魔法で壁に穴を開けて外に出ることもできる——。
 ぶちりとエーテルロープが引きちぎられる音がした。ヒュトロダエウスはすぐにはそこに触れなかった。長い時間を耐え抜いたのだ、数秒あとまわしになる程度、何ともなかった。もういつでも射精することができるのだから。だがその動きは性急で、解放された両手は、まっすぐに彼のもとへ伸びた。
「本当に解けたのかい?」代わり映えしない空間を見渡して、気を取られている彼の頭がつかまる。
「っあ、待っ……んぶっ」
 無言のヒュトロダエウスは「ああ……」と感じ入るように息を吐き出した。
 ローブの中にしまいこまれた男は、息をするのでいっぱいいっぱいだった。口内を満たすわずかな塩辛さと、容赦なく後頭部を押さえつける力に嘔吐きながら、ヒュトロダエウスの太腿を叩くが、力が緩むことはなかった。かろうじてもごもごと「は……あです」と呼ぶことはできたが、喉の奥を軽く突かれて咳き込む。
 親友の暴挙にさすがのハーデスも「息はさせろ」とヒュトロダエウスの手を引き剥がした。解放された男がげほげほと這い蹲る。
「ご、め……もっとうまくできるから」
 大丈夫、と男はふたたびローブの中に潜った。膝立ちのヒュトロダエウスの股座に顔を埋め、汚れることも厭わずに、彼の逸物を舐めあげ、懸命に奉仕する。
「キミ、そんなので、彼のことイかせてあげられたのかい?」
 ヒュトロダエウスは暗に下手だと指摘した。ハーデスは物言いたげな顔をしたが、男がくぐもった声で「まかせてくれよ」と気丈に言い返したので、何も言わなかった。彼に口淫をさせたことは何度もあるが、気分を高める前戯のひとつで、射精するまでさせたことは一度もないのだ。
 男は意を決して、もういちど彼の逸物を飲みこんだ。口に含みきれない部分を握り扱きながら、裏筋を舌先で刺激する。
「ん……やればできるじゃないか」
 上手だよ、とヒュトロダエウスの指が、懸命に逸物をしゃぶる男の髪を梳いた。
 刺激が単調にならないように、もう片方の手が陰嚢をつつみこみ、やわやわと揉む。たっぷりとした重みが掌に伝わって、咥内を満たす唾液の量が知らず増していった。変な気分だった。いつもハーデスのものを舐めるときは、その後の準備という意味合いが大きかったからだろうか。脳に刻みこまれた条件定義に、身体の奥がうずいていた。
「ん……そろそろ……出そう……」
 限界まで開きっぱなしの顎と頬が疲れに痺れかけていたところで、ヒュトロダエウスはようやく最初のひと区切りを告げた。あふれる先走りを飲みほしながら、彼の迫りくる絶頂感を逃さないように、じゅぽじゅぽと下品な音を立てながら、唇と手で激しく扱き続ける。掌の中にある睾丸がきゅうっと持ち上がり、逸物がぐんと硬くなった。
「……は、……、イ、っく……!」
 ヒュトロダエウスの両手が後頭部をおさえこんだ。喉の奥をぐりぐりと亀頭がえぐり、一拍の間をおいて子種が吐き出される。
「んぐっ……! んぶぅ……!」
 喉に直接流しこまれる大量の精液から逃れようとするも、ヒュトロダエウスの拘束はびくともしなかった。濃く青臭いそれを飲みこみながら、あるいは、口の端から零しながら、どうにか断続的に息を継ぐ。
 苦しみにあえぐ彼をハーデスは助けなかった。まぎれもない劣情に、その光景だけで達してしまいそうなほどの興奮に全身を支配されていた。いつのまにか勃っていたそれが、期待の蜜を垂らした。
 ヒュトロダエウスは、欲の放出が終わったあとも余韻を楽しむように、ひくひくと痙攣する逸物を咽喉に押しつけてから、ようやく男を解放した。
「げっほ……おぇ、っ……」
 ローブの下から這いずり出てきた彼は、息を吸っては咳き込んで、こみあげる青臭さに嘔吐いた。顔面は粘液と涙と鼻水でどろどろだった。ヒュトロダエウスはその汚れた顔を、自分のローブで綺麗に拭ってやった。
「気持ちよかったよ。ありがとう」
 幾ばくかは冷静になったのだろうか。ぜえぜえと息を吐きながら、彼の目を覗き込んだ男は、それが希望的観測であったことを思い知らされた。見せかけだけは穏やかな微笑みを湛えていても、そのまなざしは笑っていない。変わらず火のついた獣の目をしていた。吐精したはずの逸物も衰えることなく天を向き続けている。身体の奥の熱がくすぶり続けている。
「っ、ハーデス?」
 這いつくばったままの男の顎を、彼の恋人が持ち上げ、唇をふさいだ。青臭い味の残る咥内にぬるりと舌が侵入する。男はハーデスを押しのけようとしたが、固く抱きしめられて抵抗をやめた。いつもの優しく穏やかな口づけは、むさぼり尽くすような激しさに変貌し、何度も何度も唇を食まれる。
「約束、忘れてないよね?」
 情熱的なキスをするふたりの間に、ヒュトロダエウスが己の逸物を割り込ませた。
「……舐めてやれ」
 名残惜しげに唇を離したハーデスが恋人に言った。男はもう顎が限界だから代わってくれと言いかけたが飲みこんだ。彼の手に臀部をなでられたのだ。期待に満ちた目をしてうなずいた。
 四つん這いになり、差し出されたヒュトロダエウスの先端部に吸いつく。顎関節がずきずきと痛んでいて、咥えこむには休息が必要だった。扱き続けて腕も疲れていた。彼もそれをわかっているのか、無理強いはしなかった。自分で竿の部分を扱きながら、男の唇にぬるぬると押しつけるに留めている。
「んっ……」
 男の背後にまわりこんだハーデスが、彼のローブの裾をまくりあげ、下着をずりおろした。友のものを口淫して欲情した証明が恋人の目にさらされる。だが同様に硬く熱をもったものが尻の間に触れて、彼もまたそのことに劣情を抱いているのだということを教えた。
「それ、こっちが疎かになるんじゃないのかい?」
 咎めている風ではなく、むしろ面白がるようにヒュトロダエウスは言った。
「こいつ次第だ」
「フフ、なるほどね」
 ハーデスは意地の悪い笑みを浮かべて言った。
 悪魔がふたりいる。男は絶句する他なかった。
「ん、うう……っ」
 創造された潤滑油が体内を満たしていく。そちらに気を取られて、逸物から唇を外すと、今度はヒュトロダエウスが口淫に集中しろとでも言うように、頬をそれでぺちぺちと叩いた。しかたなくだるい顎関節を大きく開けると、我が物顔でつっこまれ、喉奥こそ突かれないものの、好き勝手に抜き差しされる。その雑なふるまいに、むしろ興奮を煽られてしまうのは、いったいどうしてだろうか。ヒュトロダエウスはすべてを見透かす目で、彼を見下ろしていた。
「ん、んむ、んく……っ」
 背後では潤滑油をなじませるように、ハーデスが彼の臀部をわしづかみ、後孔のひだをぐにぐにと開かせたり閉じたりしていた。受け入れることに慣れたそこは、ほとんど解す必要もなく、今か今かと中を埋める存在を待ち望んでいる。ひくひくと蠢くそこに、熱い先端があてがわれると、男のまなざしが恍惚と蕩けた。二度、三度、焦らすようにぬるぬる擦りつけられ、それを追うように自然と腰が揺れる。
 ヒュトロダエウスは、そうするハーデスを見て、キミでもそんなことをするんだねえとでも言うように目を細めた。
「ん、ふうう……んう……う……」
 ぬるぬると滑るように彼の物が埋まっていく。前後からふたつの杭を穿たれて、身体はなすすべもなく痙攣するばかりだった。ヒュトロダエウスの手が、脂汗をうかべる彼のかんばせをやさしく撫でた。だが相変わらず腰はゆるく咥内を犯していて、決して情けをかけるようなことはなかった。
 やがてハーデスの腰がぴたりと臀部にはりついて、すべてが飲みこまれたことをしらせる。おねがいだ、まだ動かないで、と、懇願したい気持ちでいっぱいだったが、口を塞がれて振り向くこともできない状態では無理な話だった。彼の手が尻臀を揉んで、中のひだが形になじむ頃合いを見計らい、ゆっくりと抜き差しがはじまった。
「うっ……んっ……んっ……」
「あまり激しくしないでおくれよ。噛まれたら痛いからね」
「はぁ……だったら噛めないようにしておけばいい」
 びりっとした刺激が背骨をかけぬけた。その衝撃こそ咥内のものを噛み切りそうになるものだったが、だらんと顎が外れたように閉じられなくなっていることに気づいて、男は愕然とした。
「キミって意外と……その気になると怖い男だよね」
「んーっ! んっう……っ!」
 抗議の叫びが聞き届けられるわけもなく。ヒュトロダエウスは彼の頭をしっかりと固定すると、容赦なく咽喉を突きはじめた。
「んぶ、んっ、んっんっ!」
「っはあ……すごく、気持ちいいよ……」
 声帯の振動も、吐き出そうとする嘔吐反射も、押し返そうとする舌が無意味に表面を舐めるのも、二十四時間の責苦を耐えたヒュトロダエウスにとっては報酬の快感でしかなかった。まだまだ欲はおさまらないし、いくらでも出せそうな気がした。喉の奥にぎっちりと亀頭をはめこんでそのまま、飲みこんだり吐きだそうとしたりする収縮を愉しんだあと、ゆっくりと腰を引いて、咳き込む彼が呼吸を整えきらないうちに、ふたたび喉を埋める。そうするとハーデスを締めつける後孔も具合がよくなるようで、男が痙攣するたびにその腰遣いは激しくなった。
「いいのかい? 彼にこんなことをして」
 最初に無体を働きだしたヒュトロダエウスが、そんなことは忘れたように微笑みながら、無言で腰を振るハーデスに問いかける。答えはなかった。それが答えでもあった。
 彼の汗を流す姿はめったに見られるものではなく、てらてらとひかる首筋と、荒い息を吐く引き結ばれた唇は、その気がなくても艶かしさを感じるものだった。皆ローブを着たまま行為をしたばかりに、むわりとした熱気とたちのぼる淫猥な薫りによって、獣のように身をあらわにするよりも、思考するいきものである尊厳を奪われたかのようであった。まなざしの先はいつの間にか親友に奪われていた。
 ヒュトロダエウスが喉をこすれば、後孔がきゅっと甘く締まるように、ハーデスが直腸の奥を突けば、同じように喉が甘くうねった。それは間接的にセックスしているようでもあった。彼に合わせて腰を揺り動かすと、悦楽の共鳴はより深みをまし、ほとんど同時に射精感がこみあげてくる。獣の交尾とそっくりな腰遣いをしながら、彼らは息を詰めた。
「っく……んっ……はあ……」
 うめき混じりの吐息は、どちらが吐き出したものだったか。
 びゅる、びゅる、と断続的に噴く子種を一滴も漏らさないように、がっちりと腰を押しつけ、奥へ奥へと塗りこむ動きまでまったく同じだった。両の口からふたり分をそそぎこまれた彼は意識を失い、ぐったりとしていた。
「あー……少し、やりすぎたね」
 ふたりが逸物を引き抜くと、ごぽごぽと音を立てて白濁液が垂れ流しになった。その白い海の中には、彼自身が出したものも含まれていた。横向きに倒れこんだ彼のローブをめくりあげると、ひくひくと痙攣する性器から、ねばついた精液が糸を引いている。知らぬまに何度も絶頂に達していたらしい。
 ヒュトロダエウスは彼の真っ赤に充血したものを握り、気つけの魔力を流した。
「……アッ! げほっ、あああっうっ」
「大丈夫かい?」
「やめ、その手、あっひっ」
 ヒュトロダエウスは小首をかしげながら、ぬちゅぬちゅと彼の亀頭を責めたてた。泣きながら身をくねらせ逃れようとハーデスにすがりつく。
「助け、ひっ、なん、で、あっあっあ!」
 ハーデスは彼を後ろから抱きしめるようにして押さえつけた。容赦のない手つきで責めるヒュトロダエウスは、同じくらい非情な笑みを浮かべながら、手のひらを先端にかぶせ、ぬるぬると激しくこねくりまわした。
「あっ! く、っくるっ、あああああっ!」
 ぷしゅっ、ぷしゅっ、と音を立てて、透明な液体が噴き出した。強烈な刺激と未知の快感に彼は目を白黒とさせながら痙攣した。ヒュトロダエウスに綺麗にされたはずの顔面は、ありとあらゆる体液でぐちゃぐちゃになっていた。
「これに懲りたら、もう少しまともにイデア確立論について学べ」
 ハーデスはあくまで優しくそう告げた。袖で汚れを拭ってやり、濡れ乱れた髪をまさしく恋人にするように梳いてやり、最後に額にキスを落とす。
「それじゃ、満足したら私の部屋に返しておいてくれ」
「綺麗にしてベッドに寝かせておくよ」
「……えっ?」
 ハーデスは自分の装いを再創造してから、転移術を唱えた。呆気にとられた恋人を残して、ブゥ……ン……という魔法の余韻が消える。
 満足したら、私の部屋に、返しておいてくれ。
 彼の言葉を反芻する。意味を理解するのに時間がかかっている男の腰を、ヒュトロダエウスがつかんだ。
「い、いやだ、も、もう無理だ、おねがいだ、ヒュトロ、嫌、ひっ……」
「キミが言い出したことだろう?」
 逃げる腰は抱き寄せられ、なお鎮まることのない逸物の先端が、ひろがったままの体内に押しこまれていく。とろとろに解れたそこは、咥内以上にとても具合がよかった。

 ハーデスが自室に帰る頃には、すっかり夜も更けていた。創造魔法のトラブルで三人が行方不明になったことに関する報告や、いまだ表に出てこない二人の状況について誤魔化したりなど忙しく働いているうちに、ほとんど一睡もしないまま四十八時間を迎えようとしていた。
 だがそれは他のふたりも同じことだった。
「……まだヤっていたのか」
 半ばあきれたようにハーデスは呟いた。
 ぱんぱんぱんと腰を打ちつける音と、ぎ、ぎ、ぎ、とばねの軋む音がなっている。
 遅い家主の帰りに、ベッドを占領する親友は「やあ、おかえり」と声をかけた。その間もピストンは止まらなかった。
 うつぶせに彼を受け入れるハーデスの恋人は、ぐったりとしていて意識を保っているのかも定かでなかったが、ときおりびくんと思い出したように痙攣している。何度出されたのか結合部から漏れ出る子種は尽きることなく、延々とバックから突かれていた尻臀は赤くはれあがっていた。
「ぜんぜんおさまらなくて……本当に、困ってるんだよ」
「とりあえず、そこを空けろ。疲れた。今すぐ寝たい」
「ちょっと待って、んっ……出る……」
 逸物をぐりぐりと奥に押しつけながら、ヒュトロダエウスは息を吐いた。結合部から垣間見える根元がどくんどくんと子種を送り出すよう脈打っていた。いくども出した精液はだいぶ薄まっていたが、最初の方は何度出しても濃いままで、あの媚薬のイデアはいったいどれほどの魔力でうみだされたのか末恐ろしいほどだ。薄れてきているということは、もうすぐ効果もなくなるはずだ、と汗をぬぐう。
「キミのハーデスが帰ってきたよ、ほら」
 ヒュトロダエウスが名残惜しむようにゆるく中をかきまぜながら、ぺちぺちと頬をかるく叩くと、男はううとかああとか意味をなさないうめき声をあげた。先ほどまでガツガツ突かれていても、ろくな反応をしめさなかったのだ、頬を叩いて呼びかけるくらいで起きるはずはなかった。
 仕方なく、逸物を引き抜き、彼を抱き起こしてベッドからおりる。空洞となった後孔からぼたぼたと白濁液が滴ったが、それはともかく、片手間に創造魔法を行使して、濡れたシーツをとりかえ、ベッドを乱れひとつない状態に整える。
 ハーデスはこの男の才能の、ほんのひとかけらでもこいつにあったならば、今日の惨劇は起こらなかっただろうと思った。しかしひさびさに燃え上がるようなセックスができたのも確かだった。彼の欲求不満がつくりだしたイデアは、一定の成果を生んでいた。
「おやすみのキス、するかい?」
 いたずらっぽく微笑んだヒュトロダエウスのもとにハーデスが歩みよる。
 彼の腕の中にいる伴侶の唇へ、触れるだけのキスをひとつ。
 そしてわずかに高い位置にある視線と交錯した。どちらからともなく引き寄せられるように、かすめるようなキスをして、結局のところ、三人は同じベッドで眠った。


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