在りし日の紅蓮祭

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「マズイマズイマズイ……」
 厳粛なるラハブレア院に相応しからぬ慌ただしさで、その男はやってきた。
 彼は当アカデミアでも有数のすぐれた創造者であり、同時に数多くの問題を起こしつづけている者である。
 そんな男が、ローブの裾に半ばけつまずきながら走ってきたのだ。
 “幻想生物創造場”にて、あらたな幻想生物のイマジネーションを働かせていた当代ラハブレアは、美しい幻想生物のイメージをすぐに取り消し、トラブルメーカーとしてこの世に創造されたのではないかとさえ思える元凶の口がひらくまでの瞬間を待った。
「ラハブレア!……まずいものを創ってしまいました」
 ラハブレアは脳裏に死の宣告のカウントダウンを幻視した。
 そもそもこの男は、今までもさんざん“まずいもの”を創り続けてきたが、いずれも周りがそう判断したのであって、当人はまったくそうは思っていない、あるいは、危険性を指摘されてようやくといった具合だ。
 それが今回はみずから、まずいものを創ったと自己申告に訪れたのだ。
 諸々の前科があるため、なにかを創ったときはかならず報告しろと、ラハブレアは彼に言いつけていた。言いつけてはいたが、こんな報告だけは聞きたくなかった。
「いったい何を創ってしまったのか、今は問うまい。ともかく——エメトセルクを呼ぶとしよう」
「いや、待ってください。これは、単純な武力で解決できる問題じゃないんです。もちろん、彼の助力は欲しいところだが、あまり多くの人を関わらせるべきではないとも思っています。そう……もしかするとこの場合、エリディブスのほうが適任かもしれない」
「あの、星の理と信仰にしか興味がない、調停者が適任だというのかね? まさか、星の脅威にもなり得る存在を創ったとでも?」
 男はかくも重々しくうなずいた。仮面の下からのぞく顔は青ざめていて、しばしば危険動植物、あるいは暴走無機物を生み出してはあっけらかんとしている、普段の様子とは明らかに異なっていた。
 だがそんな恐ろしい創造物を生み出したにしてはアカデミアが静かすぎる。破壊音も、獣の吠える声も、地響きも聞こえない。その静けさが逆に不気味でもあった。
「それで、その創造物はどうしたのかね?」
「もちろん“檻”に閉じ込めてあります。けれども、閉じ込められていようと、アレに近づくのは危険かもしれない」
「ならば、イデアとして封じてから処分してしまえば良いだろう」
「それは最終手段として考えています。危険ではあるが、アレは僕の傑作のひとつになり得ます。きっとラハブレアも研究したくなるでしょう!」
 ラハブレアは思い直した。
 この男の震える唇は、自らの創造物に怯えているというよりも、あまりに素晴らしいイデアを創り出してしまったが故の、興奮と畏れがあらわれたものでしかないのだと。
 きりきりと痛む胃をおさえながら、遠距離通話用の魔道具を取り出し——日常的に使うそれは、さまざまなデザインが存在していたが、ラハブレアをはじめとする十四人委員のほとんどは、オリジナルである貝と真珠の形を好むようだった——ともかくエメトセルクを呼びつけることにした。
 大抵の場合、この男の不始末を片付けるのは、ラハブレアかエメトセルクである。当代のハルマルトやミトロンは、ラハブレアほどとはいかなくとも、研究者として優秀ではあったが、膨大な魔力まかせに創造されたものを制御するのは、頭脳労働よりもはるかに肉体労働を強いられる。
 そう、そもそもこの男がラハブレア院に所属しているのも、十四人委員会の一員となっているのも、呆れるほどの魔力が大半の原因だと言っていい。ラハブレアは議長という立場と、アカデミアでの成果と地位から、彼の監視役には誰よりもふさわしかった。一方、エメトセルクは、彼に匹敵する魔力を持っていること、色々と縁のある間柄ということで、事あるごとに引っ張り出されている。
 そのため、呼び出されたエメトセルクは、またか……ああ厭だ、などとぼやきながらも諦観の念でアカデミアまで足を運んだのであった。
「お前、まさかわざとじゃないだろうな?」
「とんでもない! 僕とて、ここまで恐ろしいモノを作る気も、作れるとも思わなかった——そんな目で視ないでくれ、エメトセルク。本当に、そんなつもりじゃなかったんだ。……ところで、ヒュトロダエウスはどうしてここに?」
「いやぁ、エメトセルクがここへ駆けていくのを見かけてね。キミがまた面白いものを創ったのではないかと思って、見学にきたんだ」
 ヒュトロダエウスの能天気な言葉に、ラハブレアとエメトセルクは深いため息を吐いた。未知なる創造物を日々生み出しつづけている男は、そんなヒュトロダエウスの両肩をつかむと、大きく首を横に振って、
「君の僕に対する評価はうれしいが、今度ばかりは、興味本位で近づくには危険すぎる」などと宣ったものだから、残りの赤き仮面の者は頭をかかえざるを得なかった。今回の“不始末”はまだ全貌が明らかになっていないとはいえ、今までも決して、安全であったとは言えないのだ。
「それは、キミも危険だということだろう? 友人が危険な目にあうのを黙って見ているのは、とても辛い。ワタシにもどうか手伝わせておくれ」
 殊勝な言葉をならべてみせてはいるが、ヒュトロダエウスの親友であるエメトセルクにはわかっていた。こいつは、目の前にある未知の事象に、知的好奇心を抑えられないだけだ、と。
「それにしてもまた、ずいぶんと早く次の創造物に取り掛かったんだね。ワタシとしては、次にキミの独創性を味わえるのは、もうすこし先だと思っていたのだけど」
「それが急に、天啓を得たようにイメージが膨らんでね。こういう機を逃さずに創造すると、とても素晴らしいものを生み出せるんだ」
 ——などと雑談を繰り広げるこのふたりは似た者同士だ。ヒュトロダエウスのほうは、常識的であるように見せかけて、この男の暴走をけしかけて助長しているようにさえ思える。いや、間違いなくそうなのだ。タチの悪い友人をふたり持つ苦労に、エメトセルクはいい加減に己の内のエーテルが爆発しそうだった。
「おお、エメトセルク、キミのエーテルで空気がビリビリと震えているよ。かつてない強敵の存在に武者震いする気持ちはわかるけども、ワタシのようないちアーモロート市民には、少々刺激が強い——ほんの冗談だよ。だからそれ以上は本当によそう」
「いや、ヒュトロダエウス、エメトセルクが怒るのも無理はない。今度ばかりはね。それくらい、僕はとんでもないものを創り出してしまったのだ……」
「キミがそれほどまで、いや、気を悪くさせたらすまないのだが、その、よく自分の創造物を過大評価するひとがいるだろう。思考実験の段階、物質界に顕現させる前は、自分の想像力が無欠に思える。つまり、キミの創造物への語り方が、まさしくそのように聞こえるのだが、ラハブレアのもとで数々の比類なき創造物を目にしてきたキミが、客観性を失うとは考えにくい。だからこそ、キミに件の創造物について、もっと言葉を尽くしてほしいと思うのだけれど、どうかな」
「よく聞いてくれた、ヒュトロダエウス! もちろん僕も、アレに対する対応策を立てるにも、如何様にして生み出されたか、その経緯を語ることは必要不可欠だと思っていた。僕は、ヒトの感情をテーマに創造物のイマジネーションを膨らませていたのだが——」
「待て、御託はいい。とにかくその創造物を見せろ。話はそれからだ」
 痛むこめかみをおさえながら、エメトセルクはふたりの間に割りいり話をさえぎった。こいつらは語り出すと長い。特にヒュトロダエウスは。
「ふうむ。実際目にするのは危険なのだが、まあ、檻越しなら大丈夫だろうか」
「百聞は一見にしかずともいうからね、ワタシもエメトセルクに賛成だ」
 チラッと親友の機嫌をうかがいながら、ヒュトロダエウスはわざとらしく頷いた。
「……それじゃあ、あとはまかせた」
「何のために貴様を呼び出したと思っている!」
 隙あらば、と逃げ出そうとしたエメトセルクが許されるはずもなく。
 ローブの首をひっつかまれて、厭だ、やめろ、わかった、わかったから、首が締まる、となげきの声をあげながら、アカデミアのなかでも特に頑丈につくられた創造場まで連行されていく。もちろん“あの男”専用の創造場だ。道中アカデミアの研究者やここで学んでいる生徒が、十四人委員会が半ば血相をかかえて移動するのを、失礼にならない程度の関心を心がけながら、実のところは興味津々で首を伸ばしていたが、こっそりついていく者はいなかった。誰だって命は惜しい。
 創造物を含めて厄介ごとがふたつ、いや、ヒュトロダエウスもある意味で含めればみっつ。到底ラハブレアひとりに手に負えるものではない。ここをカピトル議事堂にしたいくらいだった——もっとも、その半分程度ならここに集ったことがある。あれは悪夢だった。思い出したくもない。もちろん元凶は決まっている——。
「とりあえず、あの中に閉じ込めてある」
 指差した先には、黒い箱が三つ。
 エメトセルクが手をかざし、その先にエーテルが収束しはじめた。
「待て待て待て、いくらなんでも破壊するのは早すぎる。せめて私の話を聞いてくれ」
 黒い箱をかばうように飛び出してどうにか、非常に、非常に面倒くさそうに口元をゆがめながらもエメトセルクは手を下ろした。
「あれは君が前に創造してみせた“ブラックボックス”ではないかね」
「その通りです! さすがラハブレア、僕ごときが登録したイデアでさえ知っておられるとは」
「……そもそもあれは、自分の創ったものくらい自分で責任をとれと私が言ってようやく創ったものだろう。珍しく有用なものだったから覚えているだけだ」
 とはいいつつも、ラハブレアはこの男が創った創造物はすべて熟知している。なぜなら有用であろうとなかろうと、ただ事で終わることがないからだ。
「創った本人にしか中身が認識できないという箱だね。ただの箱にもキミの独創性が発揮されている。でも、このままでは、ワタシたちには中身がわからない」
 黒い箱として見えているのは、彼以外の三人だけであり、創造者にとっては透明な箱なのだ。
 ヒュトロダエウスは、個人的に彼の創造物のファンだったので、創造物管理局に登録されている彼のイデアは、すべて貸出して再現したことがある。少なくとも、登録されているものだけは、確実な安全性が保証されているが、ヒュトロダエウスが彼のイデアを試すのを見かけるたび、エメトセルクが苦々しげな表情をしたのはいうまでもない。
 そのため、いかにもわくわくした気持ちを抑えきれないヒュトロダエウスに、独創的動植無機物の創造者である男は、期待に応えるようにうなずいた。
「これを開ける前に、僕の話をよく聞いてほしい。創っておいてなんだが、僕もこれについてすべて知っているわけではないんだ——わかってる、僕は十分反省している。もう当分、何も創造しないから、今はだまって聞いてくれ——これを開けたときから、お互いから目を離さないこと、そして、なにかを欲しいと思わないようにしてくれ。必ずだ」
「具体性に欠けるな。つまり何が起こる?」
「……つまりそうすると、君もこの中にいる生物と同じになる——かもしれない」
 エメトセルクは、黒い箱と男とを交互に見てから、呆れたようにため息をついた。
「本当なんだ! はじめ僕は一匹だけを創ったのだ。それが紆余曲折あって、三匹に増えたんだ。そして、私の創造物である翅の生えた隣人が二匹! いなくなってしまったんだっ!」
「……わかった。語るがいい。あの見た目と中身が正反対の創造生物がいかにして消えたのか、できるだけ簡潔に」
「ラハブレア……! 貴方ならこの生物の恐ろしさをわかってくれると信じていました。では……」
 ごほん、と咳払いをひとつして、男は恐るべき“獣”について語りはじめた。
「僕はヒトの感情について考えていた。僕たちには失って久しいものがある。すなわち“恐怖”だ。それはなぜか? 未知なるものとの遭遇がないからだ。古くは未知の現象だったもの——たとえば霊魂だとか——そのすべては文明の進化により、原理が明らかになってしまっている。僕たちが創造魔法であらゆるものを創るのも、イデアを共有するのも、未知なるものの探求、知的好奇心を満たすための行為であるところが大きい。
 そう考えたとき、恐怖の正体は“わからない”ことからきていると言える。“わからない”ものを創れば、ヒトは子供の頃に別れて久しい感情、“恐怖”とふたたび出会えると思ったのだ」
「なるほど。興味深いテーマだ。それで君は未知なるものへの恐怖をどのようにイメージしたのだ? そもそも、明確なイデアなしに創造魔法を行使すれば、あやふやなものしか生まれず、たちまち泡のように消えてしまう。赤ん坊が無意識のうちに行う創造魔法がまさしくそれだ。“わからない”などという、形のないものを創造するなど、既存のイデアにはない試みだ」
「……私はとっとと問題のブツを片付けて、昼寝の続きでもしたいのだが」
 思わず前のめりに傾聴、および、論じはじめたラハブレアに、エメトセルクは何度目かもわからぬため息を吐いた。
 ここまで問題を引き起こす男が、いまだに創造魔法を禁じられていない理由は、つまるところこの爺さんの意思に他ならない。良くも悪くもその独創性溢れる創作物に、インスピレーションを刺激されるだのと惚れ込んでいる。
 研究者のさがだとでも言うのか。巻き込まれるこちらとしては勘弁願いたい、ああ、面倒だ。エメトセルクは天をあおいだ。
 その間も、エメトセルクの希望は無視され、形のないイデアがどうの、嫌悪と恐怖の違いがこうの、ヒュトロダエウスも交えた、ここは人民弁論館か! と叫びたくなるような白熱した弁論が繰りひろげられていた。
 エメトセルクとて、弁論は嫌いではない。そもそも弁舌に長けた人物であるし、あの男やヒュトロダエウスと論じ合うのは珍しいことでもない。ただ、いつ爆発するやもわからぬ異次元物体を目の前に放っておいてまで、弁論に興じるほど能天気ではないというだけのことだ。
 ラハブレアとあの男は創造魔法の深淵を覗き込みすぎて、すっかり囚われ、もはや狂気の域にあるのかもしれない。ヒュトロダエウスは——悪ノリしているのか、純粋に興味があるのかはわからないが、奴の行動原理に関してまじめに考えるだけ無駄だというのが、長い付き合いからのエメトセルクの持論である。
「——わからない、という概念を形作るにあたって、必要以上に恐怖をかきたてる造形にしないというのをまず定めたんだ。醜悪なものを創るのは簡単だが、それは本来の“わからない”という概念から離れてしまう懸念があったし、何よりナンセンスだ。僕が目指したのは、より根源的な恐怖で、自己を揺るがすようなものだ」
「お前な……今まではセンスのかけらもないイマジネーションから、不可抗力で危険な創造物が生み出されてきたのかもしれないが、今度ばかりはお前自ら、危険なものを創造しているじゃないか……! この所業は、いくらお前といえども目に余る。市民を代表して、この私がじきじきに仕置きをしてやろう」
「まあ、まあ、落ち着くんだ、エメトセルク」
 不穏なエーテルの流れをなだめるように、今度はヒュトロダエウスが男とエメトセルクの間に割って入った。
「すまない、エメトセルク……君の怒りは後で存分にこの身で受けよう。僕の犯した罪はそれに値する。しかし、もう少し待ってくれ。僕は僕の生み出した創造物の責任をとらねばならない」
 だったらお前ひとりでなんとかしろ、という言葉が喉まで出かかったエメトセルクだったが、これを機に反省し、傍若無人な創造魔法の行使を見直してくれるのであれば、友の大きな成長を祝って、仕置きを保留にすることだってやぶさかではなかった。
「恐怖をかきたてない造形というと、見た目はキミが創造した幻想生物、“翅の生えた隣人”のように美しい姿をしているのかな?」
「そうしようとも考えたが、“美しすぎる”というのもある意味で不気味さを覚えるものだから、僕は、赤子のような、無力で保護欲をかきたてられる、可愛いらしいイマジネーションを練ったんだ」
「というと、“小動物”のイメージが近しいのではないかね?」
「さすがは我が師匠!」
 ラハブレアの核心をついた言葉に、男は大げさにうなずいた。
「まさしくその通りです。この箱の中にいる生物は、茶色のふわふわな毛をもっていて、つぶらな瞳の、いかにも無害で可愛らしい小動物です——名を仮に“ビーバー”と授けましょう。……この生き物はおそらく……人格を有する者の、“欲望”を叶えます。そして満たされた者を自分と同じ存在へと変貌させてしまうのです」
「なるほど、それで“互いから目を離すな”、“何かを欲しいと思うな”というわけか」
「ああ。僕の隣人のひとりが忽然と消え、かわりにビーバーが増えた後、その子が私の思考に直接語りかけてきた。消えた隣人が大切にしていたイデアがどこにしまってあるか、僕に教えてくれたのだ。在りかを知っていたのはもちろん彼女だけだ……そして私は、もうひとりの隣人にそれを持ってくるように命じてしまったのだ。その後は……ご覧の通りだ」
 並んだ三つの黒箱を指し示し、息を吐いてから、男はふたたび口を開いた。
「後から僕は、命じてしまった隣人が、そのイデアを欲しがっていたことを思い出した。さらに、最初に消えた隣人が、僕がハルマルトから頂いた蜜を、とても大切にしていた甘くて美味しい蜜を、勝手に吸ったことも思い出したんだ!」
 とある食虫植物の“唾液”を採取したもので、あまりにも芳醇な香りがするため、害虫が外からもやってくるくらいだった。本当に美味しかったから、ちびちび楽しんでいたのに、許せない……など、男は続けて呟いた。
「いつの間にそんなものを……まあいい。その話だけでは、まだ“わからない”ことだらけだな。そもそもお前の隣人は本当に消えたのか? あれは姿を消すこともできる。後からひょっこり出てきたりはしないか?」
「彼のあのイデアは特別で、相当な魔力を消費して創るんだよ、エメトセルク。ワタシのような者では、一匹再現するだけで精一杯なほどでね。彼女たちは創造主と契約して、色々と役に立ってくれる。だからそのエーテルのつながりがある限り、存在しているかどうかくらい、手に取るようにわかるはずだよ」
「ヒュトロダエウスの言う通りだ。なんと私と繋がったエーテルの先は、この箱の中で——同一の存在であることが確かなんだ。宝物の在りかも知っていたことだし……それは間違いない」
「しかし、果たしてそれがヒトに作用するか、というのは疑問が残る。当然だが、創造物は我々よりもはるかに単純な構成となっている。それに、たまたま君の創造物が欲望を叶えた後に、このビーバーと化したからといって、それが条件であると判ずるには、時期尚早ではないかね? 変貌が一時的なものでないとも言えない。現段階では、あまりにも検証が不足していると言わざるを得んな」
「だったら……試してみるかい?」
 ヒュトロダエウスの言葉に、赤き仮面の三者はぞっと身を引いた。
「怖いもの知らずとはこのことか?」
「キミは怖いの? エメトセルク」
 挑発的な物言いに、エメトセルクは口元をひくりと痙攣させた。
「……思慮深いと言ってほしいものだな。私はこの創造物そのものを恐れているのではなく、こいつの創ったものは油断ならないと知っているだけだ」
 あの男の創造物による被害が、アカデミアの建造物以外に甚大な影響を与えていないのは、ひとえにエメトセルクとラハブレア、他、必要に応じて招集された十四委員会の尽力によるものである。
 あの悪夢を一番よく知っているであろう、ラハブレアは、しかし一歩前に出た。
「ふむ、では私が“試す”としよう」
 さすがは、自らの命を消費する創造魔法などを研究しているだけはある。
 エメトセルクは、ラハブレアの研究に対する執念にいっそ感心した。
「しかし! 仮に、ですが、仮にラハブレアが私の隣人たちのように“変貌“してしまったら、それはこのアーモロートにとって大きすぎる損失です。やはり、ここは僕が……」
「いや、キミだって十四委員会の一員だ。都市の損失に限っていうならば、この場ではワタシが一番の適任といえる——といったところで、キミは許してはくれないのだろうけどね」
「当然じゃないか! 十四委員会は、星を管理する機関とはいえ、その根底は、人々を守るためのものだ。市民を危険から守るために、僕たちの知恵と力はある」
 熱弁の後、わずかな沈黙が流れた。
 ヒュトロダエウスの視線がエメトセルクへ向けられる。
「いや、だから私は最初に言っただろう?」
 なぜ、私が名乗りを上げる流れになっている?
 どう考えても、その瞬間に、私が押し付けられる流れじゃないか。
 そんな思考が一瞬のうちによぎったが、結局、誰かがやらねばならないことなら、厭だ厭だと言いながらも背負ってしまうのが、エメトセルクの座をついだ男の性格でもあった。
 はあああ、と深く、大きなため息とともに、がっくりと肩を落とす。
「まあ、私がやったほうが早く済みそうだしな……」
「エメトセルクもヒュトロダエウスも、ふたりともかけがえのない友だというのに、そんなことはさせられない! もし君たちが僕のことを同じように思っているのなら、もう少し幻想生物で検証を重ねてからにしよう。だから——」
「面倒だ。さっさと終わらせるとしよう」
「ちょっ、待っ」
 エメトセルクが指を鳴らし、
 ブラックボックスを中心に小爆発が発生した。
「うわっ」とヒュトロダエウスが頭を覆い、ラハブレアは魔力の障壁で風圧から身を守った。
 もくもくとした煙の中で、黒い影が、なにかを抱えて立ち上がる。
「ッ……ゴホッ、ひどいじゃないか、エメトセルク……」
 男がけむたいとばかりに片手でぱたぱたと扇ぐと、魔力を纏った一陣の風がつむじを巻き、辺りの空気を清浄化させた。
「君にはただの黒い箱かもしれないけど、僕の目にはこの可愛らしい生物が見えてたんだ。自分の創造生物が殺されるのは、あまり見たくない光景だろう?」
 なるほど、たしかにその腕に抱えられた“ビーバー”とやらは愛らしい小動物に見えなくもない。あくまで見た目は、だが。
「あのなあ、お前が! わけのわからないものを創るからだ!」
「知的好奇心が行き着いた先なんだ! それにうっかりイメージが混ざり合ったりして、少々危険なイデアを生み出してしまうのは、よくある話じゃないか」
「無駄に魔力をこめすぎてるせいで、“少々”ではなくなっているのがわからないか?」
「それは、もちろん、僕が創造魔法を使うときはいつだって全力だからね。イデアとして登録されない限り、まったく同一のものは二度と創れないのだから」
 まるで平行線だ。噛み合わない。いつもこうだ、ああ厭になる。と、エメトセルクは言い合いを諦めた。
 こんなやりとりはいつものことなので、ふたりは完全に無視され、ヒュトロダエウスなんかは、可愛いなあ、と言いながらすでに一匹同じように抱え上げているし、ラハブレアもラハブレアで、足元にいるそれを、興味深げに観察している。
 だが今までさんざんこの男の創造魔法に振り回され、さらには恐ろしさとやらを言い聞かされてきた後で、この生物を愛でられるほど、エメトセルクは楽観的にはなれなかった。
 必要最小限の魔力で、手早く片付けようとしたのが仇となったか、おかげで無駄な被害を出さずに済んだといえるのか——仮に本気の魔法であったなら、少なくともこの馬鹿げた男はタダでは済まなかっただろう。エーテルの総量で魔法の規模はわかるが、わかったところで飛び込むことを控えるかどうかは、また別の問題だ——とにかく状況は非常に悪かった。この男が語った推論はともかく、創造物の性質の悪さだけは折り紙つきだからだ。
「で……この惨状を、いったいどうするつもりだ」
「今のところは何ともないし、やはり、僕の推論通り、欲望を抱かないことと、互いから目を離さないようにすれば、大丈夫……だと思う」
 だと思う、と希望的観測を述べられたエメトセルクがあからさまな溜息を吐く前に、ラハブレアが——とうとう創造主やヒュトロダエウスと同じように、ふわふわに抗えなくなったラハブレアが、ビーバーなる生物を抱えながら口を挟む。
「そもそも、我々にそのような卑しい感情は存在し得ない。価値あるものはみなイデアとして共有され、必要なものは平等に分配される、このアーモロートにおいて、他人から奪いたくなるほどのものがあるかね?」
 ぴくっ、と男の肩が反応を示した。
「おや、顔色が悪いようだが」
「そ、そんなことはない……うん、いや、奪いたいとは思っていないよ。ただ、奪われたくないもの、は誰にだってあるじゃないか?」
「…………ラハブレア、少々手荒になるが構わないな?」
「ああ。私は障壁を創っておこう」
「まってくれ、まって! 誤解だ! ああああ!」
 ヒュトロダエウスが三匹のビーバーを抱えて避難すると、男とエメトセルクを囲うように透明な障壁が創造され、慌てて逃れようとした男はあわれにも“檻”に閉じ込められた。エーテルを纏った拳で壁を叩いたが、あと十発は本気で殴らなければひびも入らないほど頑丈だった。
 無駄なあがきを繰り返す男に、ゆっくりとエメトセルクが近づいていく。大いなる魔力の流れは、今度こそ手加減という概念が存在しないことを示していた。
「白状しろ」
 いくら“最強の戦士”と呼ばれていようと、十四人委員会の、それも特に力と知恵に偏ったふたりを敵にまわして、楽に勝てるほど甘くはない。それに全員が本気を出せば、いくら障壁を張ろうと都市に被害が出ることは必至だ。
「わかった、降参だ……」
 男は自らの腕に“黄金の枷”を創造した。
 あまりにも豪奢に施された装飾が、いっそ醜悪でさえあるこの枷は、古くは罪人や奴隷を繋ぐために用いられてきた、エーテルを抑制する鎖だ。この枷に囚われれば創造魔法を行使することはできない。星の管理者たる十四人委員会が、治安を守るために常に所持しているイデアであったが、実際に使われていたのは、はるか昔のことだ。そんな物を自分に使うはめになるとは。さすがのトラブルメーカーも、仮面の奥の頬を赤く染めた。
「首輪や足枷も必要かい?」
 足に黄金の鉄球が繋がれ、また首飾りといって差し支えない悪趣味な首輪が、ローブの奥で煌びやかに飾り立てられた。
 それと同時に男はじゃらじゃらと黄金の沼へ崩折れる。
「ばかなことを……!」
 ラハブレアが手を払うと、エメトセルクと男を囲っていた障壁がひび割れ、透明な音を立てて粉々に砕けた。
 その場に膝をつき、ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返す男を、エメトセルクが支える。ラハブレアとヒュトロダエウスもすぐさま駆け寄った。
「はあ、はあ……その気になれば、ひとつふたつくらいの拘束は力ずくで消し飛ばすことができるだろう? あくまでこれは一般市民用のものであって、座に連なる者を封じ込められるほど強力ではないから……それにしても、しんどいなあ……」
 急激にエーテルを失う感覚は、酸欠にも似た症状で、頭がくらくらとした。指先ひとつ動かすのも億劫で、身体が石にでもなったかのようにとてつもなく重いのだ。
「こんなことをするくらいなら、初めから隠し事などするな。仮にも委員会のひとりが、こんなものを身につけているところを見られたらどうするつもりだ?」
 エメトセルクが指を鳴らすと、拘束具は一瞬にして砕け散り、エーテルへと還っていった。
 黄金や宝石などといった、絢爛に煌めく装飾品を身につけるのは、見せかけよりも精神性を重んじ、みな同じ質素な服装することが美徳である善きアーモロート市民にとって、とても恥ずかしいことだった。黄金はかつて奴隷や罪人の象徴であった他にも、現在も伝統的に残っている使い途といえば、便器だとか、そんな“穢れ”に近いものを創るのに用いられているのだから。
「まあ、実のところ、一度創ってみたかったというのは否定しない」
「うーん、キミは何よりも先に口枷を嵌めるべきだったかもしれないよ。ワタシはキミのそんなところが気に入っているけどね」
 エメトセルクをごらんよ、と、ヒュトロダエウスが続ける。むろんそのオーラはこいつは拘束したままにしておくべきだったと言わんばかりだったが、何よりも腹立たしかったのは、この男のまったく反省を感じられない言葉に、ラハブレアが共感を示していたことだった。このイデアオタクめ。
 エメトセルクは、とりあえず支えていた男の体を地面に落とした。
 がうがう、がうがう、とビーバーが集ってくる。
「で、お前の隠しているイデアは、いったいどんな代物だ?」
「いてて……こっちは、別にまずいものを創ったわけではないんだけどなあ」
 懐からイデアを取り出した。
 即座に魔力を練って危険に備えるエメトセルクに、「僕だって迷惑をかけている自覚がないわけじゃない」と苦笑いしてみせる。
「これは“ハナビ”と名付けたイデアだ。火のエーテルで創った花、というのがわかりやすいだろうか? 使うと天に火の花が咲ってまたたく間に散ってしまう。隠していたわけではなく、使う機会を伺っていて……晴れた夜空がいちばん映えるからね。ぜひとも、多くの人に観てもらいたくて。僕は、儚くも美しい創造物だと自賛してみるけれど」
「もしかして、キミの隣人はそのイデアを欲しがって?」
「よくわかったなあ、そう、試作品をだね……そっちは、いま僕の手にあるものより規模がはるかに小さいものだが、綺麗だと褒めてくれたから、あげたんだ。まさか、こんなことになるとは思いもよらなかったけれども」
 群がるビーバーの一匹を撫でる。
 がうがうと鳴いたそのビーバーは、彼のイデアを受け取った隣人だったのだろうか?
「ふむ、聞く限りそこまで危険なものではないようだ。この際だ、いまここで再現してみるがいい」
 冗談じゃないという勢いで振り向いたエメトセルクをラハブレアは無視した。
「はあ……まあ、偶には意外なほど善い物も創るからなあ、お前は。今度もそうであることを祈るが、そうでなくとも後始末はしてやるから、もう、さっさとすべて終わらせてくれ……」
「では、詫びの印というわけじゃないが、きっと心に残るものを見せるよ」
 男の手の中でイデアが光る。
 次の瞬間、ヒュンと打ち上がったそれは、天井に当たって色とりどりに爆発した。
 勢いに負けて男はイデアを取り落としたが、閃光は一発のみならず、つぎつぎ打ち上がり、たえまない火花が頭上を明るく照らした。威力そのものは弱く、アカデミアの建造に傷をつけるほどではないが、バンバンビリビリと空気が震えるほどの音波に襲われ、一同は耳を塞いだ。
「しまった、近すぎるのはいけないな、これはっ」
 男は天井に穴を創造した。
「綺麗だねえ」
 のんびりとしたヒュトロダエウスの声が聞こえるほどには聴覚も回復した頃、男のイデアからは未だつぎつぎと閃光が打ち上げられており、アーモロート市街上空に大きな花を咲かせていた。
 これはいったい何事かと、市民がわらわらと外に出てきて、イデアがひゅるるるるる……と昇り、特別大きなものが夜空を彩るとき、破裂音とともに負けないくらいの歓声も同時に鳴り響いた。
 これまでにない独創的で美しいイデアに、ラハブレアとエメトセルクも一時、言葉をなくして天を見上げた。
「……うん?」
 ふと違和感を覚え、エメトセルクが足元を見ると、四匹のビーバーに囲まれていた。
「……おい、あいつはどこへ行った?」
「ガウガウ」
 一匹が鳴き声をあげる。
 その言葉がなぜかエメトセルクには理解できた。
『皆と一緒に花火、嬉しい。ありがとう』


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